記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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リリックワルツ

月下美人咲く父母はうつらうつら

糟糠の白木蓮をかき抱く

溺愛の針で掬わん黄落期

いもうとをそっと取り出す秋の崖

甘納豆ふりむきざまに想い出へ

散りながら飛魂抱きとむ山茶花は

石たたきレテの河原の陽だまりを

月夜茸ふうわりひらく向こう岸

ローズマリーの小枝は愛にしのばせて

からころと修道院へ紛れ込む

真っ白な風船なれば飛び立てず

ササガキノカソケキ音ノセナカカナ

やさしさが吹かれる秋に橋かけて

先の世へ旅立つ一丁のリラとして

リリックワルツさびしさは汗とびちらせ

流れゆく野菊についに追いつけず

身中の沼も暮れたりさわだつ雪くるか

(『らん48号』10.1.10)
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満州鉄道

 先日羽田澄子監督の『嗚呼、満蒙開拓団』を観た。満蒙開拓団は1931年から満州への入植が始まり、45年の終戦間際まで本土から人々が送り込まれた。終戦時に満州に置き去りにされた中国残留孤児や残留婦人の話題も最近はめっきり少なくなった。映画では七十歳近い当時の孤児たちが、まるで昨日のことのように終戦間際の引き揚げの阿鼻叫喚を語る。帰れなかった魂たちは永遠に満州に地をさまよっていることだろう。満州とはなんだったのか。
 そんな折、夫が『日本鉄道地図帳―満州樺太』を買ってきた。満州を俯瞰したかったので、飛びついた。表紙に広がる古い大連の絵地図はすぐさま『アカシアの大連』を思い出させた。羽田監督もまた大連生まれの現在八十三歳で、終戦を大連で迎えたそうだ。しかし、遠く満州の地で、開拓民たちがそんな悲惨な状況に追い込まれていることを知るよしもなかったという。大連と最果ての開拓地では同じ満州でも雲泥の差があったのだ。
 私は戦後生まれだが、満州、樺太、大連と聞いただけで懐かしい風に吹かれるような思いがする。地図を開く。満州鉄道が大連から新京まで伸びている。34年、大連―新京間を特急「あじあ」が走る。釜山―奉天間を走っていた急行「ひかり」が新京まで延長される。新たに釜山―奉天間を急行「のぞみ」が走る。「あじあ」は35年に哈爾浜(ハルピン)まで延長される。「のぞみ」も38年には新京まで延長される。でも、香月泰男のいた海拉爾(ハイラル)はもっともっと北だった。


(『らん48号』10.1.10)
 
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雨の樹のほうへ 11

 焼いてから煮よと寒鮒にほひたつ (『哀湖』)

 人の生存は他の生物の命とひきかえに保たれている。生きるために他の命を奪わなくてはならない生とは何なのだろう。肉や魚を食べながら、頭の片隅をそんな思いがよぎる。チベット密教の僧の修行のひとつに、山羊の屠りの一部始終を見届けるというのがあると読んだことがあった。そのとき、自分の母が自分のために命を投げ出してくれていると思って「ありがとう」と唱えながら直視するのだという。
 たしか中沢新一の本ではなかったかと本棚をあさっていたら、『純粋な自然の贈与』が目にとまった。この本は「贈与」と「霊」がテーマである。中にこんなくだりがある。「ブッダの悟りが、ラジカルな贈与の精神から生まれたものであることは、よく知られている。ブッダは、ブッダになる以前、何度も輪廻の中を転生しながら、そのたびに自分の身体を、ほかの生き物に捧げ尽くす修行を続けている」(「Not I, not I…」)という。チベットの僧の修行に通底するものであろう。
 そんな観点に立てば、命が他の存在からの贈与によってあがなわれている「食」とはもっとも純粋な贈与によって成り立っている営みとも言える。
 掲句は、命を差し出して語りかけてくる寒鮒の存在を渾身で受け止める。「にほひたつ」という形容は、鮒への限りない敬意と慈しみであろう。こうした命と命の対話を言いとめるためにこそ俳句はある。
「生命を生命たらしめているもの、存在を存在たらしめているものを、古代ギリシャ人にならって、『ピュシス』と呼んでみることにしよう」と中沢新一は述べる。言葉で「ピュシス」的なものを差し出すのは難題であるが、私たちが径子さんの俳句に感嘆するのは、日常的な時空を一気に「ピュシス」的深部へと反転させてしまうことなのだ。ロレンスは「Not I, not I but the wind that blows through me」と書きつけたそうだ。径子さんはいつも「風」を自身の肉体で感じていたような気がする。おそらく深い孤独がそれを可能にしたのだろう。

 檻の狸とまんじゆう頒つ老いたれば  『鶸』
 生きて着く伊勢海老に灯をともしけり『哀湖』
 鶴来るか夕空美しくしてゐる    『夢殻』

 命と命の交感をこのように描くとき、この世はつややかな奥行を帯びて、言葉の可能性を呼び覚ます。


(『らん48号』10.1.10)

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神の遊び場

 繭ごもる刹那夜汽車が遠く行く

 飛ぶ夢をいくたび見しや繭ごもり

 昼顔に感電せしものこの指止まれ

 音立てて虹の生まるる水際あり

 草の香の濃くなる乳と思いおり

 野萱草咲きみちて神の遊び場は

 夕顔の実の透きとおるまで散歩


 ―(『らん47号』09.10.10)
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雨の樹のほうへ 10

 おいしい水にわれはなりたや雲の峰 (『雨の樹』)

今号のらん詠のテーマは「水」だが、清水径子さんには印象的な水の句が多い。掲句のちょっとあとには、次の一句が出てくる。

  墓洗ふ水がおいしくなりたれば

私はこの二句をついついセットで考えてしまうのだが、さまざまな変身譚や変身願望のうずまく径子俳句の中でも「おいしい水」は、径子さんのポエジーの本質を端的に象徴しているように思われる。
 おいしい水とはどんな水だろう。
 幾世紀もの長い時間をかけて流れて地下水となって流れてきた水が、どこか知らない山奥の草むらにふっと湧きでる。そして、草の香を溶け込ませ、やがてちょろちょろと走り出して小石や土の味をも溶け込ませながら流れつつ、濃密さを増していく。あるときはキリリと冷たく引き締まり、あるときは甘くまろやかであり、ときに濁りつつもやがて必ず透明さを取戻し、その清冽さを決して失わない。そして生物の全身にしみわたって、存在そのものを形づくる。死者を思いつつ墓を洗うのに、それほどふさわしい水はないだろう。雲の峰を仰ぎながらそんな水を思うとき、生者と死者はひとつながりに繋がっている。そこに、水を求めて得られず死んでいった人々への鎮魂もあるといっては言いすぎだろうか。
 第二句集『哀湖』にはこんな句がある。
 
  わが墓が立つたり水のうまき春

 径子さんの水が墓と結びついているのは、故のないことではないだろう。径子さんにとって墓はなつかしい死者そのもののであり、そのなつかしい存在に届くのは「おいしい水」だけなのだ。
 『哀湖』の刊行が昭和五十六年だから、径子さんが自宅の近くのお寺に自分の墓をたてたのは、六十代後半のことだろう。雑木林の片隅の愛らしい墓に径子さんは深い安堵を覚えたように思われる。室生犀星は墓をたて墓を洗うのは死者のためではなく、生者のための悲しくも美しい営みだと語ったけれど、おいしい水は、墓をやさしく濡らし、やがて墓石に静かにしみ込んでいくようだ。

  水澄んでゐるから汽車に乗りたがる 『雨の樹』

 水はノスタルジーの謂いでもあった。


(『らん47号』09.10.10)
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チェーホフ峠〜『新サハリン紀行』讃〜

 霧の窓みがけば滾々と霧湧く

 言葉よりずっと遠くへカンパネルラ

 チェーホフ峠を下るたましいは瀟洒

 置き去りにされ薔薇売となりたるか

 少年の叫ぶギリヤーク語かおる

 夢の小鳥へ繁縷を摘むもっと摘む

 百年前の柳絮飛びくる鈴野原


 ―(『らん46号』09.7.10)
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雨の樹のほうへ 9

 擂鉢にいかな睡蓮現はれむ(『夢殻』)
 
 句集『夢殻』は清水径子が八十三歳で刊行した第三句集で一九九四年に刊行された。掲句はその巻頭第一句である。その年、月刊『俳句』九月号で『夢殻』の特集が組まれたが、安井浩司氏がこの句を取り上げていた。
  「私には衝撃の一句だった。摺りという、何とも奇妙な肉体感覚と扼殺感、消耗感はとりわけ女人のものかも知れない。そんな摺鉢の底に睡蓮を咲かせる夢は、泥に蓮を咲かせる仏教清浄の夢以上に痛快だ。擂鉢は人間存在の難性を承知、肯定した明るい〈混沌世界〉の象徴であって、そこへ睡蓮を誘い出すことで、かえって仏教的夢幻を高めているのかも知れない」
 摺るという行為が奇妙な肉体感覚を覚えさせるという点では同感だが、「扼殺感、消耗感はとりわけ女人のもの」というのはどうだろう。摺鉢で摺る作業はなにしろ時間がかかる。けれども、あわてず騒がずゆっくり時間をかければすばらしくなめらかな質感がまちがいなくこの世に出現する。ごりごりと摺粉木で摺鉢の内側をあたりながら摺っているうちにいつしか日常がほころびて、向こう側が見えてくる。それは、たとえば巫女が太鼓を叩いたり呪文を唱えながら次第にトランス状態に陥って呪力を獲得していくような、そんな時間に似てはいないだろうか。あるいは魔女が薬草の鍋をぐつぐつと火にかけて秘薬をつくっているようなものかもしれない。
 板の間で擂鉢を抱えてこの世の混沌を摺りながら、八十三歳の径子さんは「いかな睡蓮」が現われるかと待ち構えていた。その睡蓮はときに茄子の花になったり、大きな雫になったり、羽二重餅になったりしたことは、『夢殻』の読者ならよくご存知だろう。
 先の特集では三橋敏雄氏が「身体はときどき春の丘に立つ」を上げて、「何の限定もなく上五に『身体は』と置かれると、いわゆる道家の仙術の一つとされる肉体を残して魂魄だけ抜け出す術を見せられたようでまず意表をつかれる」と述べている。「仙術の使い手」という評は当たっている。


(『らん46号』09.7.10)
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からくさもよう

  しぐるるや私は草花で濡れる

  はたはたをやさしき骨と思いおり

  火ばさみで拾いあげればまだ木霊

  イースター兎がくるよ泣きながら

  ソラリスのわが家へつづく遍路道

  春灯を浴び婉然とからくさもよう

  わが生みしあけぼのすぎの大樹萌ゆ


  ―(『らん45号』09.4.10)
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雨の樹のほうへ 8

 寒卵こつんと他界晴れわたり(『夢殻』)

 俳句の本質を俳句で描けばこうなる……という作品ではないだろうか。俳句は「寒卵」である。こつんと打ちつけると世界が割れて、他界が現れる。そして、卵自体が造物主の手渡してくれた他界であるという重層構造をなしている。
 「たとえば、女性の排卵はつきの公転と一致して、左右の卵巣から交互に一個ずつ体腔内に排卵されるが、この暗黒の体腔のなかで、かれらはいかにして月齢を知るのか」「この問題の指針はただ一つ、それは、卵巣とは全体が一個の『生きた惑星』ではないか、ということだ。いや、この地球に生きるすべての細胞はみな天体ではないのか……。」「胎児発生という一つの生命現象は(略)卵細胞が地球の『生きた惑星』として太陽系の軌道に乗った、その門出の姿として見ることができるのではないか」(三木成夫『胎児の世界』より)。解剖学者、三木成夫の洞察は私の心をとらえて離さない。「寒卵」はまさしくこうした生命記憶をシンボライズしたものとして私たちの前に置かれている。卵は内宇宙。殻は結界。それはこつんと打ちつける意志によって、生きた惑星としての深層をあらわしはじめる。
 「寒卵撫でてやるその一つ割る」(『鶸』)「泪目に寒卵生むだけの鶏」(同前)「日没におどろきて寒卵生む(『哀湖』)「浪漫派に卵黄二つ進ぜん乎」(『夢殻』)「寒玉子のこる一つは夢みがち」(『雨の樹』)……掲句を初め、径子さんの卵の句はいずれも卵の本質、そして俳句誕生の本質を鋭くついている。なで回し、割ってこの世に出現させた卵は、この世というものへの驚きから生まれた卵であり、人類の終るまで生き続けるだろう詩の残党、浪漫派を荘厳する卵である。そして、最後に残ったのは幽明の境を自在に行き来する「夢みがち」な卵……あまりに完璧な卵のストーリーに驚愕する思いだ。伊東聖子氏は「らん」四四号のミニエッセイで誌名「らん」からまっさきに「卵」を思い浮かべたと述べておられた。ところが創刊号の巻頭エッセイで径子さんが「らん」から連想される言葉として上げたのはらんまん、乱、蘭、嵐、藍、run……そこに卵はない。「卵」は特別なものとして径子さんの中に大切にしまわれた言葉であったのかもしれない。


(『らん45号』09.4.10)
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烏兎怱怱

  冬青空いのちの糸が見え隠れ

  山茶花と開かずの踏切を渡る

  紅葉の岸無数の片側が流れゆけり

  カーブする歳月へぽっぽっと雪割燈

  完璧な凍て蝶となる言の葉よ

  啼いてみるつっついてみる冬は小鳥

  少年
(ことだま)よころがって追い越してゆけ

  ―(『らん44号』09.1.10)

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