記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
<< February 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>

帰郷

秋草のあちこち向きてララバイ

老い方が足りぬしろばなさるすべり

アキアカネの大洪水を抜けられぬ

蹌踉けつつ下る奈落は石蕗あかり

床の間のこけしさざめく雪来るか

ただひとつ雪見障子を所望せり

青空へすがれし庭の羽化はじまる

秋は水湧いてこぼれて小鳥となる

銀河系の雪降る沼へ黄昏へ

静かの海べ林檎ことりと透きとおる

らん詠「寿」
変身の壽美子か蓬かぐわしき

(「らん 84号」19.1.20)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

『らん 83号』同人特別作品20句集を読む

「了解。」西谷裕子
 季節の移り変りやさり気ない日常に仮託して、果てしない喪失感がつづられているようだ。
 
  了解。たったそれだけ 藤は実に

 「了解。」はどこから届いたメッセージなのだろうか。メールのやりとりの一コマかもしれないが、こういいとめられると、もしかしたら向こう側の世界から届いたの? と言ってみたくなる。過日みたTVドラマ『シグナル』では、十五年の歳月を越えてトランシーバーで交信する男たちが描かれていた。この句の「たったそれだけ」にこめられているのは、そんな向こう側から届いた短い便りに対する物足りなさ、もっともっと「声が聞きたい、語り合いたい」という渇望だ。藤は実を垂れ、世界は夏の只中だというのに、私はひとりここにぽつねんと取り残されている。短い俳句への恋慕が重なる。

  ドーナツは浮き世の匂い昼寝覚

 この句では、ドーナツの匂いを懐かしむ作者自身は向こう側の世界の住人であるかのような眼差しをこの世に向けている。ドーナツは懐かしさの象徴として、はるかかなたに土星のように浮いている。

  気がつけば秋霖の中 夢の中

 「秋霖の中」に続く一字空白が作者の深い吐息を思わせて、さびしさが立ち込める。

  露を踏む足裏からふっと転生

 待って、と呼びとめたい思いにかられたが、この転生はなにか明るい兆しを感じさせはしないか。「足裏からふっと」が、かろやかな自己放下と言ってみたいようなほのぼのとしたものを醸し出している。
 ミニエッセイの「紙の媒体が好き」に共感した。

「ブループラネット」青い惑星に寄せて 服部瑠璃
 今回の二十句はTV番組から想を得たとミニエッセイに記されている。氷河や秘境、深海といった、人間が立ちいることのできない領域が居間に忽然と現れる。それを詩に掬いとるのはたやすくはないが、いろいろとデッサンしているうちにコツンと心に触れてくる言葉に行き当たれたらしめたものだろう。
 作者は、地球が水の星であること、あらゆる命の源である海の世界で展開されている生の営みの美しさに改めて圧倒されたのだ。
 地上の生き物である作者が海の生命体と感応して震えている句に惹かれた。

  鱏めくれ恋の乱舞の春の泡
  魚むれてほどけ夕焼を彷徨す
  共喰ひの水底の碧優しけれ

 海中の生き物たちも、地上同様、自然の変化にその命を委ねて生きている。「春の泡」や「夕焼」という季語が海の蒼さ、透明さ、とろけるような水の姿態を増幅させる。三句めは無季だが、「共喰ひ」の強烈さが季語を代替して、海の存在感を際立たせる。

  大烏賊のしなやかに住む海の闇
  海澄めり死を喰べ尽くし骨の砂

 海の世界も陸同様に弱肉強食だろうが、水は烏賊のしなやかさをよろこび、どこまでもやさしい。海は無数の「死を喰べ尽くし」たのち、美しい砂として骨を水底に蓄えて澄んでいるのだ。「住む」と「澄む」は静かに呼応しているようだ。「海の闇」はあかるい。

二十吃(萍) もてきまり
 句を「吃」と記す作者にとって、俳句は不安や緊張のゆえに生じる表現の吃音なのだろうかとときどき考える。強烈なコミュニケートを希求しつつ懊悩する「吃」に、今回は「萍」と副題がついている。

  肉体に奥の細道あやめ咲く
  罪犯すダリアも乗せてノアの船
  古池の萍として遊びをり

 あやめもダリヤも萍も作者の自画像にちがいない。そして、道野辺に咲くあやめに息を合わせ、傷ついたダリアをそっと船に乗せ、萍の気儘を慈しむ旅人のようなもう一人の自分がいる。
 遊びほうけ、歩き尽くしてふと気がつけば、

  関係は螢となりて二人かな
  出奔をとどまり傾ぐ青林檎

 螢といい青林檎といい、どこまでも美意識にこだわる作者だが、

  日本海夕焼を着て車掌来る
  生前を旅してをとこ西日宿

 こんな対幻想の黄昏を茶化すかのようなユーモアも忘れていない。

  蠅叩さうして誰もゐなくなる

 最後の一句、終末を告げる神の手にあるのは、なんと蠅叩。パチンという残響が耳に残る。

(「らん 84号」19.1.20) 
俳句をめぐって | permalink | comments(0) | -

雨の樹のほうへ 46

樹も橋もこの世にありぬ深雪晴 (『哀湖』)

 昨年十一月に、詩人の秋山清氏を偲ぶ〈コスモス忌〉に参加した。毎年様々な講師を招いて詩歌や文学をめぐる貴重な講演が行われてきたが、第三十回のこの日の講演は原満三寿氏の「俳人・金子兜太の戦争」だった。原氏は七八年に同人誌「海程」に参加し、「海程」が兜太の主宰誌になった八五年に退会されたが、二〇一五年に三十年ぶりに通交が復活したのだそうだ。表題の〈戦争〉は太平洋戦争ばかりでなく、戦後の日銀時代なども含む、兜太にとってのあらゆる戦争であるとし、副題の牘親安里ら存在体へ瓩魎霄瓦法兜太への洞察にあふれた分析を展開された。晩年は運動体から存在体へとシフト。秩父への帰還を願いつつも、一方で現政権がおしすすめる〈戦争〉への強い抗議を行った。俳句はメッセージ性の強いものになったことが惜しまれるが、辞世の句、「河より掛け声さすらいの終わるその日」にいたって産土との交歓を果たしたとしめくくられた。
 径子は一九一一年生まれで、径子が兜太より八歳年長である。全句集に収められた自筆年譜の昭和三一(一九五六)年・四十五歳の項に、「東京本郷病院に初期結核で入院、耕衣先生より見舞いに金子兜太句集『少年』を賜る。集中の一句、『白い人影はるばる田をゆく消えぬために』に大いに励まされる」と記されている。径子から兜太の話を直接聞いたことはないが、自筆年譜にあえて一句を引いてまで書き遺したことから察するに、若い兜太のエネルギッシュな創作活動にシンパシーを寄せていたにちがいない。
径子の俳句表現における〈戦争〉は深く沈潜して、生涯を通じて句に投影されていった。戦前に左翼運動にかかわったとして警察の厳しい尋問を受けて心身を病み一九三七年に亡くなった弟のことは、最も直接的に径子の心に傷を負わせた〈戦争〉であったと思う。弟の句については以前に本欄で取り上げたのでここでは割愛するが、「橋」もまた径子の〈戦争〉にとっての大きなキーワードではないだろうか。『哀湖』には掲句のほかに「橋」を呼び込んだ印象的な句が、もう二句ある。

  橋わたるところで晴れて嫁菜摘
  摑まつて我れは螢と橋わたる

 これらの「橋」には、対岸への通交を可能にする明るい希望がこめられている。最後の句集『雨の樹』所収の「戦するないづこも春の橋壊すな」はいささかストレートに過ぎるかもしれないが、径子の生涯を通じての祈念であった。

(「らん 84号」19.1.20)

雨の樹のほうへ | permalink | comments(0) | -

【書評】正木ゆう子 著                             『猫のためいき鵜の寝言 十七音の内と外』                     ―「図書新聞」18.12.1号

 本書は西日本新聞に二〇一八年五月から七月まで土日をのぞく毎日、十週連続で掲載されたコラムをまとめた一冊である。
 ほぼ毎日八〇〇字の文章を一〇週にわたって書くという作業はなかなかしんどいことではないかと思うが、「週一回ならば一年かかる回数を、二か月半で書くことは、大変どころか、思わぬ楽しさだった。」と著者は記す。
「そういう書き方のエッセイは、どこか俳句と似ている。普通なら素通りするような何でもないことを言葉にするのが俳句ならば、短いエッセイも、誰にも起こっている普通のことを掬いあげて書くのである。」(あとがき)
 そんな著者の心楽しさが横溢する弾みのある文章と、末尾に置かれた俳句の絶妙な交響にたちまち引きこまれた。
二階の仕事場と一階の台所を行き来する日常、夫と車で出かける旅、飛行機での故郷熊本との往来……著者の日々のそこここから俳句が湧き出している。文末に置かれている俳句にはすでに句集でお目にかかっているのだが、そうか、こういうことだったのかと新たに出会い直すような楽しみも本書の魅力だ。
 著者も六〇代半ばにさしかかり両親や親しい人々との別れがつづく。降り積もる淋しさを俳句が受け止める。熊本市健軍町は著者の故郷だが、「健軍町行き」の項では、「人に伝わってこその俳句だが、これは伝わらないだろうな、それでもいい、と思って作る句がたまにある」と著者は明かす。「どこか奥深い急所に触れて、なかなか忘れることができなかった」想念も、「俳句にすれば、あっさりと片付けることができるのである。/十七音の俳句という小さな箱に入れ、ラベルを貼って棚に仕舞う。思いはもう私のものであって私のものでなく、棚に並べて眺めることができる。/こんなときの俳句は、まるで作り手が俳句に助けを求めているようなものである。」
そして、次の一句が最後を締めくくる。

  根の国へ最終市電春灯

 伝わらなくてもいいと思って作った一句かもしれないが、エッセイを読み一句を読むと、同世代の私もまた「最終市電の灯」が遠ざかっていくのをじっと見送りながら、ずいぶんはるかな場所まで連れていかれたような気がした。文章だけだったら、こうはいかないにちがいない。
 著者は「たった一度すれ違った人、一羽の鳥、過ぎった思い。微かなそれらを、俳句とともに書き留めてみたい」と書く。微かなものの中には蝶がいる。石がいる。風が、蛸壺が……しかし、やがてそれは酵母や漢字の文字や納豆にまで飛び火。読みながら意表をつかれ、思わず噴き出したりしているうちに、深まっていく日々は哀しく淋しいだけでなく、暖かく懐かしいものであることが心に染みてくる。
 さしたる変化もなく繰り返される日常のいったいどこから詩を汲み上げて俳句に凝縮させるか。俳句を書く人なら、さりげないエッセイを通じて著者が俳句創作の秘策を惜しげもなくさらけだしてくれていると感じるかもしれない。「忘れられないときは、俳句にする」。しかし「忘れようとして詠んだのに、句にしたせいで」いっそう鮮やかに刻印される。それが俳句だ。だから、あの一瞬を俳句にしておくだけで、鮮やかに手繰り寄せられるのだ。3・11以降、著者は福島や熊本などの小学校で俳句教室を開いてきた。その授業風景が三回にわたって描写されているが、ある雨の日の授業のときに思いついたという「心の中を見てみよう」などはまさに著者の面目躍如。小学生たちと懸命に向かい合う著者から、俳句への愛がほとばしっている。
 はるかな宇宙との魂の交感は著者の俳句の魅力であるが、本書の掉尾「星糞峠」は石器時代の黒曜石の鏃にふれてこんな文章で締めくくられている。
「遺伝子の螺旋を辿って自分の奥深くへ分け入ってみれば、その頃の痕跡が残っているだろうか。螺旋の奥の遥かな太古に、私は私の裡で辿り着きたい。」
 かつて著者が「〈今〉は私の存在そのものであり、厳密に言えば私の命のことであった」(『十七音の履歴書』)と記していたことを思い出す。「私は私の裡で辿り着きたい」という一文から著者の万感の思いを手渡されたような気がした。
 そして、最後の一句は、「地に星糞天に星糞去年今年」。
「星」と「糞」の二つの文字のギャップに心をときめかせる著者のお茶目な一面は、「猫のためいき鵜の寝言」という本書の楽しいタイトルにも表れている。表紙や扉を飾る少女は著者の化身かもしれない。

(春秋社刊・18.10.17 四六判 144頁 本体1700円)
俳句をめぐって | permalink | comments(0) | -

抒情のゲノム

郭公啼けば三千世界水ぐむよ

紫陽花の枯れて始まる物語

つるばらつるばら追憶はアンダンテ

透明に咲き出るこの世は真昼

白南風が抒情のゲノムずたずたに

稲妻の突き刺すホテルカリフォルニア

船が出る夕焼の奥へジパングへ

花芙蓉媼ら明日にまどろみぬ

短夜や吊るされ揺れて哭いている

未草揺れる辺りで上陸せよ

らん詠「無」
頭蓋骨の眼窩は無心浜昼顔


(「らん 83号」18.10.20)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

一句鑑賞「秋の雨」

雨ふれば雨ふる黄泉か菊膾
       中尾壽美子

 雨が降る。世界が雨音に満ちる。秋になったのだ。過ぎてゆく時間の裏側に、パラレルワールドのように黄泉が透けて見えてくる。一句を「菊膾」で言いとめたとき、花びらを食べるという人の営みの憐れさが改めて浮上してくるようだ。昔、夫の母に教えてもらって、菊膾をはじめて自分でつくった。菊は薄紫色の「もってのほか」。シャキシャキと繊細な歯ごたえとほのかな香りに感激した。
「きつね雨黄泉にも春のあるらしき」は掲句と同じ第四句集『舞童台』の句。壽美子はいつも黄泉の消息に心を傾けていた。


(「らん 83号」18.10.20)
俳句をめぐって | permalink | comments(0) | -

雨の樹のほうへ 45

雨脚やひとりひとりの秋いかが (『夢殻』)

 同人の水天氏よりメールが飛来した。曰く「三鷹の水中書店で中尾壽美子の『狩立』を入手しました」。
ホ、ホント? 中尾さんの句集はその一冊だけ持っていなかった。まだ、古本屋に出てくることがあるのだなあ。ちょっぴりくやしいけど、仲間がゲットしてくれたことはありがたい。さっそく貸してくださったので、いま読み進めているところである。実に刺激的な句に満ちている。昭和四四年発行のこの第二句集は壽美子の転回点となったのではないかと思う。
 壽美子は径子より五歳年下で三四年に「氷海」に同人参加している。ここで二人は出会ったのであろう。壽美子が『狩立』で三七年に発行した第一句集『天沼』の世界から大きくジャンプできたのは、二人の関係も大きく影響しているのではないだろうか。
 平成一七年に清水径子の全句集を編んだとき、できれば盟友である中尾壽美子の全句集もつくれたらと思ったが、なかなか実現に移せないままいたずらに時が過ぎた。どこかでその企てがすすんでいることをひそかに願うのみである。
 個々の句集はますます入手困難な現在、がんばって径子全句集をまとめておいてよかったとつくづく思う。刷り部数は三〇〇部だったと思うが、先ごろまで在庫の問い合わせがあり、ついに完売となった。 
径子の全句集の巻末に収められた鳴戸奈菜の「刊行のことば」の中にこんな一節がある。
「小学校に入学する前後に両親を喪い、二十二歳のとき結婚するが離婚、その四年後、二人の弟のうち年の近い信太郎の他界に会うなど、家族運には恵まれなかったが、径子さんは、まるでその替わりのように俳句を肉親、或いは恋人として日々を暮らしてきたように、私の目には映っている」
本当にそうだった。俳句を通して生者はもちろん、死者たちとも親しく交信していた。掲句の「秋いかが」には、黄泉に暮らす壽美子への問い掛けももちろん含まれているだろう。

  仲良しがゐる槇の枝に寒雀  壽美子(『狩立』)
  雨あしのみるみる真葛原となり  (『舞童台』)

 掲句の隣に、壽美子のこんな句をおいてみると、真葛原を通り抜けて一人ぼっちで秋に立った径子の淋しさと人懐かしさが染みてくる。

(「らん 83号」18.10.20)
雨の樹のほうへ | permalink | comments(0) | -

桜の実

つぎつぎに白鳥帰る父の窓

北欧の風船となり売られおり

ゆらゆらと空に緋の咲く鯉浄土

人類絶え世界犯しゆく黄の菖蒲

五月雨墓地は迷路と知りし日の

緑の夜ララのテーマの蓋をあけ

昼月の溶けるあたりへ豆の蔓

上布てごわしどこまでも風はらみ

桜の実黒く実りて黒くつぶれ

マトリックス崩れつづける万緑

らん詠「使」
使わぬ部屋の使わぬ鏡カフカの忌

(『らん 82号』18.7.20)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

耕衣一句鑑賞――『吹毛集』を読む

籠の目を雑木と思ひ頬白は

 いつだったか、清水径子の自宅で開かれた句会で、径子から教えられた一句である。話の経緯は忘れたが、「籠の目を雑木と思」う頬白には、囚われの身の哀れさではなくて、どこか滑稽で剽軽な命の懐かしさのようなものが漂っていると径子は話していた。それ以来、私にとって忘れられない一句となった。
 ひがな一日、籠の中で止まり木を行ったり来たり、餌をついばんだり、囀ったりしながら、頬白はふと遠くを見る。この囚われの場所をわが天地と思い知るときにはじめて、美や自由は見果てぬ夢としてやってくるのだ。雑木は山林へ、そして自由の天地へと広がっていく。空へと羽ばたけぬ翼は、それゆえにもっと広い無窮の空を得た。五十代半ばとなった耕衣は、縁側の鳥籠をかたわらで頬白とともに視線を遠くにのばしているようだ。
 籠の目を雑木と思う頬白に仮託して耕衣は、生き物の命の有限さと、それゆえの眼差しのあたたかさを伝えたかったのではないだろうか。籠はそのとき、非情な檻であるいっぽうで、命を包むやさしい器でもあったのだ。人間も鳥籠の頬白とさして変わらない夢を見、生を生きていることを、この一句は懐かしく描き出している。    

(『らん 82号』18.7.20)
俳句をめぐって | permalink | comments(0) | -

雨の樹のほうへ 44

虹顕つと知らず羅着てたてり (『哀湖』)

 径子の第二句集『哀湖』は、七十歳のときに上梓された。第一句集『鶸』刊行から十年、径子の六十代が詰まった一冊である。
 私も同じ年代の半ばを過ぎ、一句一句が身に染みてくるようだ。あとがきのこんな一節がいまの私に径子の肉声として迫ってくる。
 「(略)古いノートを整理していて感じたことは、遂にうろうろとさまよう私というもう一人の人間に出会った気羞かしさであり、それを如実に示す俳句という十七文字へのおそれであった。内面界の裂け目をほんの少し覗いたにすぎぬこの集を、それでも開板にふみきったのは、残り少ない時間を、生きながらまだ死なぬための私自身への励ましの手段に過ぎない」 
 俳句は径子にとって「内面界の裂け目を覗く」ために存在した。私自身、なんのために俳句を書き続けているのかと自問するとき、径子のこの言葉は霧中の道標のように思われる。径子がこのように俳句と向き合い生涯手放さなかったことこそが、何物にもかえがたい励ましである。
 厳しい内面凝視を血肉の通ったやわらかい言葉で言いとめたとき、五七五や季語は融通無碍の時空を現出させた。
 掲句は「羅」を着る心のときめきを言いとめると同時に、「虹顕つと知らず」に心の微妙な屈託も描出されている。虹の美しさに見惚れるよりも大事なことがあったのだ。こうした径子の心情を、「羅」は見事に体現しているだろう。
 羅はかろやかで繊細だが、びっくりするくらい強靭でもあることは、羅に触れてまとってみればわかる。私は昨年骨董市でもとめた宮古上布を洗い張りに出し、いま必死で自分サイズに仕立て直している。今号が出来上がる頃には多分着られるはずだ。もとの着物は小柄な私が着るにしてもかなり小さかった。いったい、どんな人が織り、どんな人が着たのだろうか。織り手がその布を自らまとうことはめったにない。一枚の着物にこめられた女たちのさまざまな思いが指の先から伝わってきて、ひと針たりともおろそかにできないと思うばかりだ。
 俳句も似たようなものかもしれない。この古い詩型は、どこまでも美しく手強い。

(『らん 82号』18.7.20)
雨の樹のほうへ | permalink | comments(0) | -