記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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神の遊び場

 繭ごもる刹那夜汽車が遠く行く

 飛ぶ夢をいくたび見しや繭ごもり

 昼顔に感電せしものこの指止まれ

 音立てて虹の生まるる水際あり

 草の香の濃くなる乳と思いおり

 野萱草咲きみちて神の遊び場は

 夕顔の実の透きとおるまで散歩


 ―(『らん47号』09.10.10)
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雨の樹のほうへ 10

 おいしい水にわれはなりたや雲の峰 (『雨の樹』)

今号のらん詠のテーマは「水」だが、清水径子さんには印象的な水の句が多い。掲句のちょっとあとには、次の一句が出てくる。

  墓洗ふ水がおいしくなりたれば

私はこの二句をついついセットで考えてしまうのだが、さまざまな変身譚や変身願望のうずまく径子俳句の中でも「おいしい水」は、径子さんのポエジーの本質を端的に象徴しているように思われる。
 おいしい水とはどんな水だろう。
 幾世紀もの長い時間をかけて流れて地下水となって流れてきた水が、どこか知らない山奥の草むらにふっと湧きでる。そして、草の香を溶け込ませ、やがてちょろちょろと走り出して小石や土の味をも溶け込ませながら流れつつ、濃密さを増していく。あるときはキリリと冷たく引き締まり、あるときは甘くまろやかであり、ときに濁りつつもやがて必ず透明さを取戻し、その清冽さを決して失わない。そして生物の全身にしみわたって、存在そのものを形づくる。死者を思いつつ墓を洗うのに、それほどふさわしい水はないだろう。雲の峰を仰ぎながらそんな水を思うとき、生者と死者はひとつながりに繋がっている。そこに、水を求めて得られず死んでいった人々への鎮魂もあるといっては言いすぎだろうか。
 第二句集『哀湖』にはこんな句がある。
 
  わが墓が立つたり水のうまき春

 径子さんの水が墓と結びついているのは、故のないことではないだろう。径子さんにとって墓はなつかしい死者そのもののであり、そのなつかしい存在に届くのは「おいしい水」だけなのだ。
 『哀湖』の刊行が昭和五十六年だから、径子さんが自宅の近くのお寺に自分の墓をたてたのは、六十代後半のことだろう。雑木林の片隅の愛らしい墓に径子さんは深い安堵を覚えたように思われる。室生犀星は墓をたて墓を洗うのは死者のためではなく、生者のための悲しくも美しい営みだと語ったけれど、おいしい水は、墓をやさしく濡らし、やがて墓石に静かにしみ込んでいくようだ。

  水澄んでゐるから汽車に乗りたがる   『雨の樹』

 水はノスタルジーの謂いでもあった。


(『らん47号』09.10.10)
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チェーホフ峠〜『新サハリン紀行』讃〜

 霧の窓みがけば滾々と霧湧く

 言葉よりずっと遠くへカンパネルラ

 チェーホフ峠を下るたましいは瀟洒

 置き去りにされ薔薇売となりたるか

 少年の叫ぶギリヤーク語かおる

 夢の小鳥へ繁縷を摘むもっと摘む

 百年前の柳絮飛びくる鈴野原


 ―(『らん46号』09.7.10)
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雨の樹のほうへ 9

 擂鉢にいかな睡蓮現はれむ(『夢殻』)
 
 句集『夢殻』は清水径子が八十三歳で刊行した第三句集で一九九四年に刊行された。掲句はその巻頭第一句である。その年、月刊『俳句』九月号で『夢殻』の特集が組まれたが、安井浩司氏がこの句を取り上げていた。
  「私には衝撃の一句だった。摺りという、何とも奇妙な肉体感覚と扼殺感、消耗感はとりわけ女人のものかも知れない。そんな摺鉢の底に睡蓮を咲かせる夢は、泥に蓮を咲かせる仏教清浄の夢以上に痛快だ。擂鉢は人間存在の難性を承知、肯定した明るい〈混沌世界〉の象徴であって、そこへ睡蓮を誘い出すことで、かえって仏教的夢幻を高めているのかも知れない」
 摺るという行為が奇妙な肉体感覚を覚えさせるという点では同感だが、「扼殺感、消耗感はとりわけ女人のもの」というのはどうだろう。摺鉢で摺る作業はなにしろ時間がかかる。けれども、あわてず騒がずゆっくり時間をかければすばらしくなめらかな質感がまちがいなくこの世に出現する。ごりごりと摺粉木で摺鉢の内側をあたりながら摺っているうちにいつしか日常がほころびて、向こう側が見えてくる。それは、たとえば巫女が太鼓を叩いたり呪文を唱えながら次第にトランス状態に陥って呪力を獲得していくような、そんな時間に似てはいないだろうか。あるいは魔女が薬草の鍋をぐつぐつと火にかけて秘薬をつくっているようなものかもしれない。
 板の間で擂鉢を抱えてこの世の混沌を摺りながら、八十三歳の径子さんは「いかな睡蓮」が現われるかと待ち構えていた。その睡蓮はときに茄子の花になったり、大きな雫になったり、羽二重餅になったりしたことは、『夢殻』の読者ならよくご存知だろう。
 先の特集では三橋敏雄氏が「身体はときどき春の丘に立つ」を上げて、「何の限定もなく上五に『身体は』と置かれると、いわゆる道家の仙術の一つとされる肉体を残して魂魄だけ抜け出す術を見せられたようでまず意表をつかれる」と述べている。「仙術の使い手」という評は当たっている。


(『らん46号』09.7.10)
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からくさもよう

  しぐるるや私は草花で濡れる

  はたはたをやさしき骨と思いおり

  火ばさみで拾いあげればまだ木霊

  イースター兎がくるよ泣きながら

  ソラリスのわが家へつづく遍路道

  春灯を浴び婉然とからくさもよう

  わが生みしあけぼのすぎの大樹萌ゆ


  ―(『らん45号』09.4.10)
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雨の樹のほうへ 8

 寒卵こつんと他界晴れわたり(『夢殻』)

 俳句の本質を俳句で描けばこうなる……という作品ではないだろうか。俳句は「寒卵」である。こつんと打ちつけると世界が割れて、他界が現れる。そして、卵自体が造物主の手渡してくれた他界であるという重層構造をなしている。
 「たとえば、女性の排卵はつきの公転と一致して、左右の卵巣から交互に一個ずつ体腔内に排卵されるが、この暗黒の体腔のなかで、かれらはいかにして月齢を知るのか」「この問題の指針はただ一つ、それは、卵巣とは全体が一個の『生きた惑星』ではないか、ということだ。いや、この地球に生きるすべての細胞はみな天体ではないのか……。」「胎児発生という一つの生命現象は(略)卵細胞が地球の『生きた惑星』として太陽系の軌道に乗った、その門出の姿として見ることができるのではないか」(三木成夫『胎児の世界』より)。解剖学者、三木成夫の洞察は私の心をとらえて離さない。「寒卵」はまさしくこうした生命記憶をシンボライズしたものとして私たちの前に置かれている。卵は内宇宙。殻は結界。それはこつんと打ちつける意志によって、生きた惑星としての深層をあらわしはじめる。
 「寒卵撫でてやるその一つ割る」(『鶸』)「泪目に寒卵生むだけの鶏」(同前)「日没におどろきて寒卵生む(『哀湖』)「浪漫派に卵黄二つ進ぜん乎」(『夢殻』)「寒玉子のこる一つは夢みがち」(『雨の樹』)……掲句を初め、径子さんの卵の句はいずれも卵の本質、そして俳句誕生の本質を鋭くついている。なで回し、割ってこの世に出現させた卵は、この世というものへの驚きから生まれた卵であり、人類の終るまで生き続けるだろう詩の残党、浪漫派を荘厳する卵である。そして、最後に残ったのは幽明の境を自在に行き来する「夢みがち」な卵……あまりに完璧な卵のストーリーに驚愕する思いだ。伊東聖子氏は「らん」四四号のミニエッセイで誌名「らん」からまっさきに「卵」を思い浮かべたと述べておられた。ところが創刊号の巻頭エッセイで径子さんが「らん」から連想される言葉として上げたのはらんまん、乱、蘭、嵐、藍、run……そこに卵はない。「卵」は特別なものとして径子さんの中に大切にしまわれた言葉であったのかもしれない。


(『らん45号』09.4.10)
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烏兎怱怱

  冬青空いのちの糸が見え隠れ

  山茶花と開かずの踏切を渡る

  紅葉の岸無数の片側が流れゆけり

  カーブする歳月へぽっぽっと雪割燈

  完璧な凍て蝶となる言の葉よ

  啼いてみるつっついてみる冬は小鳥

  少年
(ことだま)よころがって追い越してゆけ

  ―(『らん44号』09.1.10)

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【越境する俳句】                            マンガと俳句―『蒸発』と『犬になる』をめぐって

 俳句の秘めたるパワーを「越境性」ととらえたとき見えてくるものは何か。ここではマンガを通じてそれをさぐってみたい。
 つげ義春は連作『無能の人』の第6話「蒸発」(一九八六年)で俳人、井上井月を描いた。本誌の巻頭エッセイ「らんだむ・あくせす」(三七〜三九号)で井月を取り上げた中村光三郎氏も熱烈なつげファンで、俳句とかかわるよりはるか以前に、『蒸発』で井月の存在を知ったと記しているが、私も同様である。
 井月は、西行や芭蕉の系譜に連なる世捨て人、「蒸発」の体現者としてつげに選びとられた人物である。彼らが歌や句を携えて世を逃れて行ったことは、歌や俳句という「詩」と「蒸発」の深い関係性を物語るものであるにはちがいないのだが、物語はひとまず「蒸発」という生き方を中心にして展開していく。
 どこからか流れてきてこの町の古本屋の主に収まった山井と、売れない漫画家「私」が「蒸発」について話している。山井は蒸発を「自分を『あってない』と観想するための具体的な方法でしょう」と言い、「あんたの韜晦無能ぶりも似てますな/自分を役立たず無用の者として社会から捨てる/蒸発しているようなものじゃありませんか」と「私」に語りかける。

 「だけどおたくの場合はいずれ帰るのでしょ」
 「まあ私はほんの一時的にこっちに/この世に来ているだけですから…」

 そして素性の不明な浪人が伊那谷に忽然と現れるところから井月の物語が始まる。もと武士で俳句もよくする井月は村人から見れば超インテリであり、叡智=神の技を携えた来訪神のような存在と映ったかもしれない。井月は花で一句、栗で一句と頼まれればたちどころに俳句にしていく。まるで神がふっと手を触れればそこに泉が湧くかのように。
 やがて次第に人々に厄介者扱いされるようになり、ささやかな草庵を結ぶこともなく六十六歳で野垂れ死にする。死に際に辞世の句をと言われてしたためたのが若いときにつくったとされる次の一句である。

  どこやらに鶴の声きく霞かな

 『蒸発』の最後のカット、かすむ伊那谷の画面にはこの一句が添えられていて「かなかなかな……」と文字を連ねて鶴の声と切字をだぶらせながら画面の奥行を深めている……とここまで書いて『蒸発』を開いてみて驚いた。「かなかなかな」の文字などどこにもなかった。最後の見開きは右ページに四カット、「何処やらに」「鶴の声きく……」「かすみ」「かすみ」とつづき、左頁は全1頁を使って、ただかすみのたちこめる伊那谷のみが描かれていたのである。私はこの絵から勝手に「かな」の文字の連なりを脳裏に刻んでいたことになる。
 吉本隆明はつげ義春について「わたしたちがこころを低くして作者の描く生の流儀についてゆくと、まったく異なったひととひととの通路が見えてきて、不思議な夢を見させてくれる」(『消費の中の芸』)と語っているが、これもつげ義春が見せてくれた「不思議な夢」の一つかもしれない。この最後の画面は、俳句の神が井月に用意してくれた帰り道でもあると思った。
 作品に一句だけが引かれ、それがひときわ強烈なインパクトを与えているのは、片桐慎治氏が『幻燈』第8号(2007年)に発表した『犬になる』である。『蒸発』に通じる世捨て人の水脈が感じられる。
 この物語は「海辺の小さな町を出たのは十八のときだ」と語り出される。硬い描線で描かれる都会の、人を拒絶するような家並み、その下で生きる無数の人々に手紙を届けるのが私の仕事だ。「名も知らぬ人たちに私は……」「長いこと手紙を届けた」「黒い犬のように毎日歩く」。眠っている男の頭の中を小さな黒い「私」と黒い犬が歩いていく。つづいて現れるのが左の一コマだ。「偶然手にしたK・Y氏という人の私家版句集に気になる一句があったのを思い出した」として、次の一句が一ページの真ん中に置かれている。




  炎天に一度会ふべき神を待つ

 一句がまるで神のように画面に屹立している。
「私が配達した何万通もの手紙の差出人に神の署名はなかった」「K・Y氏にまちくたびれて黒い一匹の犬となった男のことを伝えるべきだろうか」と「私」は思う。凝縮された言葉と硬質な画面をたどるうちに、いつしか私もこの世を放浪する一匹の黒い犬になったような気がしてくるのだった。
 二つの作品において俳句はこの世という山野に裂け目を生じさせて、向こう側を覗かせてくれる装置として存在しているように思われる。『犬になる』の主人公が配達する手紙、それは私たちがつむぎ出す一句一句であり、その中に神からの手紙が紛れ込んでいることもあるのだろうかと夢想した。

 ※『犬になる』に引用された俳句は山本加人句集『録録』(書肆稲妻屋刊)所収の作品である。


(『らん44号』09.1.10)
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理想郷

  毬転げ出でて熱砂を驚かす

  前の世へ電話かけたい小さな入江

  鉄砲百合ともして待っている岬

  夕凪げばはねる魂ひかる魂

  老鶯の啼きかうここが理想郷

  朝鮮の水はあまいか梅花藻なびき

  葡萄蔓ゆらして明日も山猫は


   ―(『らん43号』08.10.10)
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雨の樹のほうへ 7

 ふくらめる悪の球根なども植う(『哀湖』)

 『鶸』という渋いタイトルから一転、『哀湖』という瀟洒な句集名でまとめられた清水径子第二句集(昭和五十六年、俳句研究新社)には、昭和四十八年から五十六年までの二四〇句が納められている。この時期は、清水径子にとって、俳句生活上の大転換点に当たっている。あとがきを引こう。
 「この間、身辺に起こった最も大きな変化は二つ。その一つは、昭和五十二年七月、秋元不死男逝去の悲しみ。その二つは、昭和五十四年一月、永田耕衣を師と仰ぎ得た喜びである」
 「氷海」から「琴座」への実に大胆な〈越境〉を成し遂げたこのとき、清水径子は六十八歳であった。さらにまたこの句集は俳句研究新社から発行され、あとがきの最後には高柳重信への謝辞が記されている。
 越境を影で支えた存在が重信であったとまで言うつもりはないが、このあとがきはいろいろな意味で示唆的である。
 氷海で秋元不死男のもとにあって、清水径子が自らの詩質を俳句的に洗練させていくのとはむしろ逆のベクトルでひそかに俳句の可能性を広げんとしていたことは、『鶸』を見れば一目瞭然ではあるが、永田耕衣の門を叩いたところに、径子の詩の根っこにある、俳句表現への強いこだわりをみることができるだろう。
 新興俳句や高柳重信によせるシンパシーだけでは足りない。胸に深々と突き刺さる、存在感のある俳句を書くためには、土俗的ともいえる耕衣の言霊世界の魔力を自らの俳句に呼び込みたい……そんな不敵ともいえる思いがあったのではないか。
 そこで掲句である。もとより随所に埋め込まれてきた「悪の球根」ではあるが、いまは高らかにはばかることなく宣言しておこうとでも言うかのように、この句は『哀湖』の中で妖しく輝いている。「流れより野菊を拾ふめぐりあひ」とさまざまな「めぐりあい」に思いを馳せつつ、この句を生み出し得たとき、径子は悲しみに満ちた『哀湖』の充足をかみしめたのではなかっただろうか。
 『哀湖』にはこんな句も沈められている。

  悪霊のふところ深き夜涼かな
  悪しき種子を蒔きこの夏を越さむかな


(『らん43号』08.10.10)
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