記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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貝 釦

目裏の夜汽車は永遠に雪野ゆく

冬麗のガラスの森のガラスの花

少年来る吹雪の夜を日を橋を

雪の戸をそっと叩けばおかえり

生みたての銀河と思う薄氷

エリアンの首にマフラー巻いてあげる

人参を花型に抜く夕闇も

水仙の光あふるる開かずの間

春の岸明けゆく遺書の飛びたてる

ぼたん雪いもうとの名はキム・ヨジョン

紅梅の蕾みつつ空かきならす

野遊びに来ているははのははのはは

永き日の杼(シャトル)とばして聖マリア

初蝶に生国問えば薊の葉

春寒のトライアングルは孤独

天の花咲かせてジャワ更紗ぬくし

絹糸を縒ればてのひらはさくら

春立つと土にひとつぶ貝釦

烏兎怱怱いちごは舌でそっとつぶす

ふり向けば春こんこんと血脈

らん詠「新」
新約聖書(しんやく)を閉ず囀りはたえまなし 

(『らん 81号』18.4.20)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

如月の結婚式

 二月に結婚式に参列した。親族の結婚式としては十年以上前の従妹の結婚式以来である。夫の兄の娘、義理の姪は四十歳を少し過ぎ、地道な婚活の末に出会った二歳年下の伴侶と並んで「若く見えるでしょ」と笑っていた。ウェディングドレスがとてもよく似合っていた。
 会場は相手の実家のある長岡市で、私は去年姑から譲り受けた留袖を自分で着ることにしてホテルに持ち込んだ。秋田在住の姑は一〇一歳。元気ではあるが長岡は遠い。雪も深い。参列はむずかしいので、留袖だけでも参加させてあげようと思ったのである。
 古い留袖は比翼も胴裏もかなり黄ばんでいたが、着物教室の仲間が比翼の黄ばみが目立たないようにと金銀の刺繍入りの半襟を借してくれた。ついでに帯、帯揚げ、帯締め、扇子も持ってきてくれた。当日は金糸銀糸の重たい帯を結ぶのに苦戦したが、きれいに着つけのすんでいた花嫁の母が汗だくで手伝ってくれた。
 遠い昔、親たちがお膳立てしてくれた秋田の神社の座敷で「結婚式なんてしなくていいのに」と思いながら、鬘の重さに耐えて座っていた自分を思い出した。友人からの祝電を今でも覚えている。
「人生が美しいものであることを二人で確かめ合ってください」
 それから五十年近くが過ぎた。どうだったんだろうな、私の人生。

  留袖の松に金糸の春告鳥 燈

(『らん 81号』18.4.20)
エッセイ | permalink | comments(0) | -

フモールとイロニー[海上晴安さんを偲んで]

 海上晴安さんは、旧琴座の同人として、第二号(一九九八年七月発行)から「らん」に参加された、いわば最古参のメンバーだった。私は海上さんの俳句に接するたびに、背後から耕衣の笑顔が浮かび上がってくるように感じたものだ。琴座時代に耕衣との間で交わされた俳句を巡る往還は、耕衣なきあとも、「らん」という場を借りて海上さんの心の中でしずかに熱くつづいていたのだと思われてならない。
 井上有一をリスペクトする書家たちのグループ展、「天作会」に作品を発表され、「心の花」で短歌を「東京四季」で詩を発表しつづけておられた。書道展には足を運んだことがあったが、短歌や詩の活動もなさっていたことを亡くなって初めて知った。
 「らん」七六号のエッセイに、五歳のときに都電の事故で片足をなくされたが成人してからはそれを跳ね返すようにボディビルに目覚めオペラを歌うようになったと書いておられる。幼年時の不慮の事故はその後の海上さんの人生に大変な影を落としたに違いないが、ボディビルやオペラのくだりに触れ楽しくなってしまった。そんな海上さんだから、晩年にご病気を得てしばらく休詠されたが見事に復活された。次第に容体も安定され、お元気になられると思っていた矢先の訃報だった。
 創刊当時の「らん」を何冊か繙いてみた。当時は毎号全員でテーマを定めて短文を俳句の下に掲載していたが、海上さんのエッセイは三鬼あり、草城あり、またトーマス・マンあり、サルトルあり、スタンダールありと多彩であ る。
 フモールとイロニーは海上さんの終生のテーマだった。五十嵐さんに五十号以降から五十句をまとめていただいたので、ここに「らん」草創期の海上さんの数句を上げてささやかな哀悼としたい。 

  花見時パクリと開くニヒリズム   (二号)
  純粋理性とは卵立つこと春立てり  (五号)
  青嵐立原道造も道も        (六号)
  無花果に喰はれたる夢真昼中    (八号)
  ほくそ笑む手毬春風馬堤曲     (九号)
  はつなつの雲に存在見―つけた   (十号)


(『らん 81号』18.4.20)
俳句をめぐって | permalink | comments(0) | -

『らん 80号』同人作品20句(前半七名)を読む

 「らん」80号では同人全員で二十句に取り組んだ。今号のらん反射は三人で分担して、同人の二十句に分け入ってみたい。

●五十嵐進「鉄を枯らす」
 詩の原郷は産土にある。会津・喜多方で農をつづける五十嵐にとって、俳句を書くとは3・11以後放射能に汚染され続ける「フクシマ」を書くことに他ならない。俳句下のエッセイで「自分の枠」を思うとして、「俳句は大衆文藝の様相を持つがゆえに、かえってその『枠』を意識する意味があるように思う」と記す。五十嵐は3・11以降、定型を「枠」と言い換えることで、自らの俳句を「フクシマ」という場所で措定し直したと言える。

  鉄を枯らす技彗星の尾の光り
  枯らし鉄が作る精密作文機

「鉄を枯らす」という比喩は放射能汚染という以上に人間の暴走の深部を突き刺す。
 汚染された大地、死者たちとの会話がつづく。

  木の風の星のことばで地の被曝
  木枯らしが吹き抜けていく胃の腑
  見つめあう眼鏡の奥の銀河系

 私たちの世界を形づくる命の一粒一粒が3・11以後の世界の産物であり、銀河系である。

●海上晴安「メランコリックなる日々」
 俳句を書くということの切実さを、五十嵐とは違った意味で私たちに突きつけてくる作品群である。

  芋羊羹これが最期と毎日喰らふ
  排便の有無聞かれける芋名月

 回復期のリハビリと希望を持ちつつ俳句をしたためる作者の句は、どこかユーモラスで温かい。

  仲秋に届くや小回りの利く車椅子
  秋晴やボート漕ぎたき井の頭
  夕べにはクラシックよしロックよし

 病床で柔らかい思索をめぐらすとき、俳句という定型は作者の命を盛る器となったことだろう。
ミニエッセイには病床でのエピソードが軽妙につづられ、こう締めくくられている。
 「まさに、生きる、生きているということだ」。人が生きるとはこういうことなのだと教えられた。

●M・M「パン屋の娘」
 在日三十年余とはいえ、日本語を母語としない作者の表現にはいい意味で意表を突かれることが多い。
 
  便衣隊追いつ追われつ秋の宵

 私は便衣隊という言葉をこの句で初めて知った。民間人に偽装した軍人たちのことで、日中戦争に関連して使用されるという。様々な議論をはらむ言葉を一句に呼び込むときには、ある種の跳躍が要求されるだろう。作者は政治的な背景よりも「便衣」という字面そのものに興味を覚えたのかもしれない。

  ソカロに集う骸骨に月夜茸

 一転して「ソカロ」はスペイン語。これもまた私には初めての言葉だったが、広場のことでアステカ帝国の重要な場所だそうだ。読者に調べる労をとらせてでも「ソカロ」とすることで、骸骨と月夜茸というシュールな取り合わせをくっきりと浮かび上がらせることに成功している。

  反り返る角兵衛獅子の冷える耳

 「角兵衛獅子」とはまたレトロな……と思ったが、「冷える耳」でなるほどと納得した。角兵衛獅子は異界の不思議な動物として作者のアンテナに引っかかってきたのだ。獅子舞の原義へとさかのぼりたくなってくる一句である。

●岡田一実「名月譚」
 月でつむぐ二十句の世界である。今号の作品の中で、唯一キーワードを中心に展開した作品群である。次々に連鎖しながら物語が進行していくので、百韻などの古形が意識されているのかもしれないが、その方面に疎いので、勝手な読みでお許しを願いたい。
 まずは朝から夕方へ次の三句で一気に持っていく勢いは見事。

  朝にして名月を請ふ深空かな
  塾田津の今は月待つ陸の栄
  ゆふがたのかたぶく岸や月のぼる

 塾田津などの歌枕を織り込みつつ、幻想の浜辺に月はしずしずとのぼっていく。
 
  また節を間違ふ笛や月今宵
  月天心貧しき骨の煮干しかな
  月さやか久女の鯵のよく焼けて

 祭の笛の音が切れ切れに届く炉辺に蕪村や久女を呼び込みつつ、市井の秋の夜は更けていく……と思いきや、一転して場面が変わる。

  戦火や良夜の馬は目をば病み
  みづうみの芯の動かぬ良夜かな
  月は西刃物は水に沈みけり

 最後に良夜の深奥に潜む不穏なかたまりをずしっと手渡される。虚実の綯い交ぜかたが絶妙である。

●片山タケ子「毒の一滴」
 一句一句にキーワードがしかと置かれて、印象を際立たせている作品群である。

  首のなき人形抱くや火の恋いし
  女らは鏡に老ゆる神無月
  雪の夜やロシア民謡重く低く

 「首のなき人形」「鏡に老ゆる」「ロシア民謡」……これらのキーワードから浮かび上がってくるのは、作者の寂寥感である。キーワードに伴走する季語がその色合いを濃くしているようだ。

  曖昧は月の砂漠に埋めちまへ
  立冬の皇帝ダリアいくじなし

 これらの激しい言挙げは、ままならない現世のいら立ちをいささかストレートに表し過ぎているかもしれない。しかし、いかんともしがたい寂寥感を乗り切るにはこのストレートさが必要なのだ。

  寒晴やゴリラはあつく胸叩く
  雀蛤に手取り足取りかな

 ゴリラは作者であろう。蛤にならんとする雀に手取り足取りしてしまうのもまた作者。これからも熱くあがきつつ、生のいとおしさを歌い続けてほしい。

●久保妙「聖家族」
 作者のしずかな冬の日々に「十日目の嬰児」がぽっかりと浮かんでいる。

  十日目の嬰児笑みて冬に入る
  嬰児をポインセチアで迎えたり
  初子待つ小さきベッドにサンタぐつ
  寝室の聖樹点滅聖家族

 作者の初孫だろうか。やがて母子は家に帰ってくるだろう。いや母親は「帰る」が正しいが、赤ん坊は「初来訪」と言うべきか。ともかくも新たに出現した命はしずかさの中でしんしんと待たれているのだ。その赤ん坊を取り囲むように作者の静かな日々がゆっくりと過ぎていく。

  冬温し米の艶めく夕餉かな
  冬至湯の肌にちくちく刺さりけり

 赤ん坊はまだ来ない。夕餉の卓は誰と囲むのだろうか。冬至湯に身を沈める作者の内奥が「ちくちく刺さりけり」でほんの少しだけ覗けたようだ。

●嵯峨根鈴子「棘抜き」
 さまざまに刺激的な俳句の現在をサーフィンしながら、自らの俳句に磨きをかけている作者である。

  恋慕渇仰キツツキが止まらない
  ホッチキスのあれを虫てふ鳴かせてみたい
  狐火の最終バスを見送りぬ

 耕衣は「薄氷のいろうて居れば穴あきぬ」と詠ったが、作者は季語を「いろうて」世界に穴をあけているようだ。

  丹頂の触れればくぼみさうな紅
  火恋し音の濁れるラシャ鋏

 視覚、触覚、聴覚で生き生きとリアルに世界を切り取る腕はますます冴えわたる。

  棘抜きを夫に貸したる去年今年
  はなびらもち牛蒡が実話めいてきし

 物語はどこまでも実話めいていくようだ。
 ここで、七九号の特別作品「少し歩けば」にも触れておきたい。作者は八十号のらん反射で自作にふれて「十七句のほとんどの句は、わたしとしては写生の句である」と述べている。抽象的、幻想的な句もせんじ詰めれば、作者が世界を写生した産物であり、読者がどこまでその世界に共感できるかだろう。
  にふだうぐも虚に至るまで白線引く
  食べるたび枇杷の恥ぢらふビワの種
  むかうにも海月の沈む地下のバー

 炎天下で白線を引き引き歩いていく作者がまさか「虚」を目指しているとは誰も気づくまい。「にふだう雲」が「虚」に奇妙な実態を与えている。枇杷は作者の自画像にちがいない。美しい形と大きすぎる種のアンバランス。「恥ぢらふ」に作者の美学を感じる。「向かう」は他界だろう。地下のバーでくつろぐ「海月」は懐かしい人々の魂である。

  打ち上げられたところで待てる瓜の馬
  人々は家へと帰る虫取撫子
  ローソンの二階は余白フルムーン

 心というカメラのレンズの屈折率が写生のオリジナリティを深め、俳句における写生とは何かということを読者につきつけてくる。

(『らん 81号』18.4.20)


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雨の樹のほうへ 43

たちどまるまでは朧と知らざりき (『雨の樹』)

 海上晴安さんを偲びつつ、創刊当時の海上さんが参加された「らん」を繙いて、しばし感慨にふけった。二号以降の同人は十数名で、一人一頁に作品七句のほか四〇〇字弱の短文も掲載していた。今号から再び一人一頁に戻ることになって感無量である。
 さて、径子は第十二号まで巻頭コラム「夢殻随想」も書いてくれた。いまとなっては径子が遺してくれた貴重な肉声のような夢殻随想だが、彼女の心に深く刻まれた俳人がしばしば俎上にのぼっている。第三号(九八年九月)で取り上げているのは、八田木枯氏の『天袋』だ。「(略)生と死のテーマで成ったと思われるこの句集を、八田木枯氏の佳境と見るのは私ばかりではないであろう。(略)『天袋』の中から一句を抜くことは至難のことだが、〈草餅や何かにつけて西の空〉〈死ねばすぐ大むらさきともつれたく〉などまことに人間くさく、且つ人間的な啓示を見せた句々に何か述べたい思いはつづく……」と縷々思いをしたためる。
 第五号(九九年三月)では一月八日の高屋窓秋氏の告別式に参列、窓秋との出会いの頃を偲ぶ。
「先生に初めてお目にかかったのは終戦後、先生が満州から帰られて一年目。昭和二十三年に『天狼』が創刊され、東京天狼会が発足した年で、私が俳句に関った年でもあった。義兄の秋元不死男が私の無知を哀れんで、二冊の句集と共に窓秋の世界を私の心に投げこんでくれた」と回想しつつ、「先生が生涯追求しつづけたのは〈美は真・真理は美〉(ジョン・キーツ)という言葉。私にはこの荘厳とも思える言葉がただものかなしい。平成五年、孤高の中断を経て先生は第五句集『花の悲歌』を上梓された」とペンを置く。
 コラムの最後となった第十二号では安井浩司氏の『小學句集』を取り上げている。
「この一本をかかえて、例えば春の若草に寝ころんで見給え。きっとなつかしく若き日の浩司と向き合う事ができ
るに違いない。/浩司氏は少年にして哀愁の人であったか。その哀愁はどの句にもしみじみと感受できた」と記すとき、径子自身、浩司少年の哀愁が醸成されている遠い異郷の時空へとびゆき、ともに春の草に寝ころんでいたに違いない。最晩年の日々に大好きな俳人たちの作品世界に没入して倦まない径子が見えてくるようだ。
 海上さんのおかげで、しばし立ちどまってはじまりの「らんの朧」へダイブできた。これから径子の文章もときどき紹介していきたい。

(『らん 81号』18.4.20)
雨の樹のほうへ | permalink | comments(0) | -

懐かしい場所

わが骨もまじりて珊瑚散る海辺

補陀落が近づいてくる野分あと

朱欒ともしてケンムンと二人っきり

天も地もいのちみなぎる辺土(ほとりのくに)

夾竹桃の実は毒もてり拾いけり

白黒の山羊いて潮風は甘し

銀漢をとかして永遠に入江なる

原生林はいつも雨降りバナナ熟れ

しっとりと指にはりつく蛇の衣

手を振ればいよいよ大いなる芙蓉

ハモニカや廃校の池さざなみす

パパイアの青きほとりに目覚めたり

潮騒に三線まじる流謫かな

シャワー熱し神かと思う巨大蜘蛛

磔刑の手足やわらぐアキアカネ

神の居ぬ礼拝堂はあたたかし

病める葦そよぐ秋蚊を匿いて

珊瑚礁へかしぎて白き十字墓

島唄の湧き立つここは妣の国

秋の潮夢のふちまでひたひたと


石蕗あかり乱心というやすけさよ
(らん詠・テーマ「らん」)

(『らん 80号』18.1.10)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

加計呂麻島の同窓会

 一度は行ってみたいと思っていた加計呂麻島行が実現した。島出身で一歳年下の友人が五十年ぶりに開かれる小学校の同窓会に出席するというので、便乗することになったのだ。
 加計呂麻島は島尾敏雄が特攻隊の隊長として一九四四年から終戦までの一年近く駐屯し、のちに妻となるミホと出会った場所である。二〇一七年は島尾敏雄の生誕百年にもあたる。これも何かの縁だろう。
 友人夫妻とは現地で落ち合うことになり、便乗組三人(共通の友人と我々夫婦)は、奄美空港からレンタカーで珊瑚礁の海辺をたどりつつ名瀬に着いた。私は北国生れだが、この南の島がなぜかとても懐かしく感じられる。亜熱帯の原生林の空気が細胞に浸みこむようだ。翌日は図書館の島尾敏雄記念室や図書館長をつとめた島尾さん一家のいた旧官舎を見学後、古仁屋からフェリーで加計呂麻島の生間港に上陸。夕暮迫る呑之浦で特攻挺「震洋」を隠した岬を辿り、静まり返った入江に佇んだ。
 翌朝、友人夫妻と合流して廃校となって久しい木慈小学校へ向かう。集まった男女十名は島を離れて久しい人たちばかり。ジャングルと化した校庭の片隅で担任の先生のハモニカに合せて歌う校歌に聞き入った。
 夜は古仁屋のお寿司屋さんで開かれた宴の席に潜入。三線の島唄に合わせて、みんなで島の踊りを踊った。私も前世は加計呂麻島の出身だったような懐かしい夜だった。

(『らん 80号』18.1.10)
エッセイ | permalink | comments(0) | -

雨の樹のほうへ 42

うたたねの流れつきたる春の岸 (『雨の樹』)

 「らん」は六名の同人で一九九八年二月に創刊された。創刊号の巻頭に清水径子が寄せた「冬青空」という文章の一部を改めて紹介したい。

 平成九年も押しつまってから、ようやく発足に踏み切った俳句同人誌の誌名が「らん」と決定した。いい名だとみなが気に入っている。「らん」という言葉の響きから、忽ち耕衣命名の「らんまん」、その無垢な重量が偲ばれるし、「蘭」の連想は清楚美貌の花。乱・嵐・藍(あい色)、おまけにrunなど自由に想像すれば、ちらりと野性なども見え隠れする。純粋でまことに気のいい独善ながら、「らん」という命名は、これから先、なにか新しい仕事を暗示するようで楽しいという明るい声が聞こえたりもする。
 平成九年八月二十五日、永田耕衣先生が遂に逝去された。無念の思いというよりも、もっと身近な淋しさに汗の引く思いだった。この時「人生は短いよ」と九十七歳の耕衣の声が私には確かに聞こえた。「今を大切にせよ」私にはそう感じられた。
 無常とは、あらゆるものが生滅変化してゆくことだと知れば、死や別れが無常であるのと同じく、今ここに生れおちて、行方も定まらぬ「らん」は、また、無常の海の只中だと言えるかもしれぬ。もう、真っ直ぐに前を見て歩くことしかないだろう。

 それから二十年がたち、径子の巻頭言はますます輝きを帯びて私たちの前に置かれている。俳句を共通のテーマ
として一冊に集い、毎号俳句を書きながら、少しでも自分の引き受けた俳句という詩形に新しさを盛り込むことができただろうか。流れついた春の岸でふと目覚めたとき、自問自答する。答えは見つからないから、ふたたび歩きはじめる。径子がたしかに聞いた「人生は短いよ」という耕衣の声が、三十年を経たいま、実に重たい真実として、ひたひたと春の岸を洗う。「真っ直ぐに前を見て歩いていくことしかないだろう」。
創刊号の径子の作品の中に次の一句があった。

  青き帯すれば満面早春よ     径子

 うん、ちょっと元気が出てきた。

(『らん 80号』18.1.10)
雨の樹のほうへ | permalink | comments(0) | -

バルセロナ

風車二基わが虎の斑の青岬

精霊と遊びほうけて干し草まみれ

地獄めぐりのはじめ珊瑚のかみかざり

蛍袋ゆらせば母のほぐれゆく

母系たどりてからっぽの桐箪笥

花火の谷間背負いし神が重くなる

秋雨が黒旗濡らすバルセロナ


秋蛍棲む黒旗のたたみじわ  
(題詠「旗」)

(『らん 79号』17.10.10)

『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

金子彩・愛蔵三句

ユダ恋うとき狼の毛の代赭色

青野とはユダと撲ちあうところかな

難儀かな花野でユダが手招くは

(『らん 79号』17.10.10)
俳句 | permalink | comments(0) | -