記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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皆川燈句集『朱欒ともして』(七月堂刊・20.1.20)

皆川燈句集『朱欒ともして』

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そっと息

魔法瓶ふればシャリシャリ春と修羅

月光の階調縫うて春へ春へ

サバト果てたる朝の岸辺は角ぐむよ

囀りふりこぼす運命を拾いけり

孤独あふるる若草のガラスマグ

厨より小さく独逸語の野薔薇

はにかめる友も重たき文旦も

春宵へゆっくりと遮断機が下りる

角皿の金の亀裂を鳥帰る

六十年後のぽっぺんにそっと息

[らん詠「人形」]
箱あけて傀儡とりだすクローバー 

(『らん 89号』20.4.20)
『朱欒ともして』以後 | permalink | comments(0) | -

『らん 88号』同人特別作品二十句集を読む

「春やむかし」 関根順子
 届かなかった手紙、出しそびれた手紙はそこにこめた思いが果たされなかった約束のようにいつまでも心に残る。そんなテーマの二十句と読んだ。
 第一句めは戻ってきたはがきから始まる。

  花衣はがきに添へるも戻りきし

 はがきは誰に当てたものだったのだろうか。花衣の絵にこめた思いとともに季節は移ろっていく。

  無頼とは美しきかな白日傘
  秋立つやあつけらかんと泣いてゐる

 「無頼」「白日傘」とくれば太宰治である。泣いているのは小説の中の少女に仮託した作者だろうか。

  蟬ふるへ裏がへる日の孤独かな
  ひぐらしは仮の世生きて痩せにけり
  切り岸はみな過去のなか合歓の花
  
 裏返ってふるえながら空を見上げている蟬の孤独は切り岸の孤独、痩せていくひぐらしの孤独へと重なっていくようだ。

  春やむかし封緘の約果たさむと

 多分果たされることのなかった約束は、冒頭の一句へとメビウスの輪のようにつながっていく。 


「窓の秋」  西谷裕子
 口語を駆使した軽やかな風体を装いつつも、作者の心はいつも悲しみに暮れているような思いにとらわれる。
 
  秋夕焼缶蹴り鬼のいち抜っけた
  謎解きのヒントください猫じゃらし
  カンナ赤々できないことはできません

 こんなふうにつぶやきながら、そのまなざしはどうしても忘れ去ることのできない過去へと突き刺さっていく。

  海に暮色種無し柿に種のあと
  白桃や過去がざらりと痛い
  偶然は必然である龍の玉
 
 過去は柿や白桃や龍の玉として作者の心の中に置かれている。それはときにこんなふうに愛おしく思われることもあるだろう。

  なつかしきものを並べて窓の秋
  たましいにたましい色の帽子編む

 たましい色とはどんな色なのだろうか。私は虹と月光とをない交ぜにした糸を想像した。

「秋に寄せて」 服部瑠璃
 冒頭の一句に引きつけられた。

  恐竜は小鳥になつて生きてゐる

 あの巨大な恐竜が、長い時間を経てついにこんな小さな小鳥(大きい鳥もいるけれど恐竜に比べればね)になって今日を生きている。この進化の不思議に打たれる。小鳥に残る恐竜の痕跡を思う。

  小鳥来るすでに人類絶滅期
  千年の遙かにあらむ秋の水

 温暖化やウイルスの跋扈を見るにつけ、まさに「すでに人類絶滅期」の感ふかし。2億年にわたる進化を生き延びてきた小鳥は、そんな人類を哀れんでいるだろうか。人類が絶滅した千年後の世界を流れる秋の水は美しく澄み切って甘露だろう。その水を味わい浴びることができるのは小鳥たちである。

  小ホール秋の隅々までバッハ
  火恋し日記短くはしり書き

 人はだからバッハに浸り、寒い心を日記に記す。火が恋しい、命が恋しいと。

「江戸っ子だ〜い」三池泉
 いつも洒脱な句で読者を魅了する作者だが、今回の二十句には度肝を抜かれた。新年から年末までを「江戸っ子」をキーワードに、江戸弁、季節の風物、歌舞伎の演目などをちりばめながら展開するという離れ業である。

  野暮天は地下鉄でゆく初芝居

 ということは、初芝居を江戸っ子は地下鉄でなく車で乗りつけるってことかしら。

  おけらだが火事と喧嘩と花見好き
  てやんでえ御足借りても初鰹
  屋形船お侠なひとにおべんちゃら
  あたぼうよ梅雨小袖黄八丈だって

 なるほどね、江戸っ子気質、見えてくる。そして、そのきっぷのよさは、こんな状況と表裏一体なのだ。

  吉原細見御歯黒溝に遊女の死

 「雷門の毛唐たち」にやれやれと眉をひそめる……この一連って、作者の自画像なのだった。


(『らん 89』20.4.20)
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雨の樹のほうへ―清水径子の俳句宇宙 51

たんぽぽを植ゑよとわれに言ふ日かな (『哀湖』)

 疲れたり落ち込んだりしたときに、気がつくとこの句を口ずさんでいることがあった。よく考えると不思議な句である。野原や道の辺に咲いているたんぽぽを、あえて植えよと自分に命じる……「たんぽぽを植えよ」と「われ」に命ずるときの心情を想像してみる。自分を鼓舞するためかもしれないが、どこか飄々としている。たんぽぽがいいのだ。たんぽぽは友だちみたいにさりげなく生活の傍らにあるけれど、春が来るたびに黄色の花を咲かせるのは、この世を差配する春の女神のしわざである。この人間の計らいを超えた自然のなりわいに、参加せよと言う。詩人がかくつぶやくとき、自然は自らの庭である。
 そう言挙げしたとき、森羅万象は径子のそばに寄ってきて、傅いただろう。径子のたんぽぽは径子の強い意志の象徴として高らかに、でも力まずに歌い上げられていて見事である。実は、らん詠で「令」が出題されたとき、私は「まず月見草植えよと伯爵領令は」と書いた。以前、「月見草辿りたどりて伯爵領」という句をつくったことがあり、掲句の「たんぽぽを植ゑよ」というフレーズが頭をよぎったのだった。重信の伯爵領の地図は私の心の中に大切にしまってあるけれど、伯爵領への軟弱なあこがれでは径子の森羅万象を巻き込んだ庭にとても歯が立たないなと改めて思う。

  水多き地上と思ふ春霞
  少し遅れ摘める菫に感心する

 掲句につづくこの二句も春を感受するまなざしが単純な自然賛歌でないことに気づかされる。春のただ中に立って水を思う。このとき春霞は径子である。菫もただの菫ではない。少し遅れて摘んだからこそ、ほかの菫とはちがう造化の妙を見いだしたのだ。「少し遅れ」と心の屈折をたたみ込んで、菫に見入る感心の仕方は、庭の主であればこそなのだ。径子の俳句の庭はかくも広く深く不思議をたたえて存在している。

  貝寄風に乗りたや山河みゆるべし  
  星空に一夜ねかせて瓜の苗

 時空を懐に抱きとめるようなこんな句にも『哀湖』の世界観がほの見える。『哀湖』は径子が七十歳で刊行した第二句集である。私も来年は同じ年代となる。径子のみずみずしくも果敢な足取りを私もたどっていきたい。径子が植えたたんぽぽが一面を覆う明るい春の野が見えてくる。
 

(『らん 89号』20.4.20)
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マグネシア

入信を迫られている秋の蟬

深秋の息を殺している鏡

マグネシア燃やして心うつしとる

もてあますあしたもあおき榠樝の実

箱舟の漂着したる金木犀

しののめ水色百年たちしその朝の

愛執を千切りにしてちらしずし

長き夜の泣いてしまいし糸電話

寒満月浮かべ暗黒は底なし

隕石のかけらに山野ありて雪

[らん詠「恋」]
桃を洗うように言霊も恋も 

(『らん 88号』20.1.20)
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一句鑑賞「春の七草」

はればれと水のむ吾れは芹の類      中尾壽美子

 『舞童台』所収の一句。思い出すたびに喉をすべりおちていくおいしい水をともに味わっている心地がして、こちらまではればれとした気持ちになる。
 芹の細かく繊細な葉、すっとのびた茎、真っ白い根は繊細で瀟洒なたたずまい、きつめの香りやしゃっきりした歯ごたえは潔癖で凛とした自己主張をもつ女性を連想させる。
 『老虎灘』にはこんな句も収められている。
充分に老いて蓬に変身す

 髪白く如何なる蝶になる我か

 壽美子の変身願望は切ないまでの美意識に貫かれている。

(『らん 88号』20.1.20)
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「琴座」の耕衣―連載第十一回     [抄出 皆川燈]

 この連載を五十嵐さんからバトンタッチした。前号前々号では俳句における「社会性」について耕衣の言説を追った。
 今回からは少し角度を変えて「琴座」に息づく耕衣の俳句的日常をたぐりよせてみたい。「社会性」の見解に通底するところもあるかもしれない。耕衣には琴座の連載をまとめた単行本も何冊かあるが、もはや入手しづらいと思うので重複しているところはお許しいただき、誌面に登場した当時のライブ感とともに、耕衣のつぶやきに耳を傾けていきたい。
 まずは昭和36年、六一歳の耕衣である。

●昭和36年4月号(第140号)
 俳句作品「棒頭集」下欄

 ○俳句は抒情である、だから、「もつと抒情を」といつてみても、秀れた抒情がそう易々と出てくるわけではな い。詩は人間の思想に外ならない、だから、「もつと思想を」といつたところで、思想がそう易々と祈り出せるわけのものではない。抒情も思想も、当の作家の質の問題である。単なる「呼びかけ」やお題目の挺では、どうにもならぬ作家の質の問題である。思想のない感情、感情のない思想は元々詩の体質とは無関係である。
 ○大いに詩的だと思う俳句に対しても、「必要以上に晦渋だ」という批評家の非難はありうる。この評言を裏返しにいえば、詩には、(俳句には)適当な晦渋度が必要である、ということになる。それなれば、その必要度の限界をいつたい誰が責任を以て決めるのか。言わずと知れた当の作家自身が決めるのである。

耕衣は「抒情」と「思想」を同じ地平でとらえている。そしてそこに「晦渋度」というスパイスをさし込む。面白い。

「名句をたづねて」(連載第6回)

  老いながら椿となつて踊りけり 三橋鷹女

 (略)鷹女さんの踊一句は一茶の盆踊のおどりとは違つて、椿という季節のものが使われていても超季の容態から湧き出している踊である。無季とか超季というよりも、日本人という立場からいえば全季的であるという方が自然であり全人的でもあろう。また、ドガの踊子たちに淡々とにじみ出ている西洋的な生の哀感やスナップ性は、むしろこの一句には稀薄であつて、その分では、やはり「椿」というもののもつ日本的な生彩が、その哀感心象の具体化に大いに役立つている。そこには残存者意識の濃度、その感触に従う生命的な燃焼がまづある。いづれはポタリと地上に燃え落ちる椿の花の予感的な濃艶さの中に圧縮されている無常観、それを発散させるためにも踊らなければならない切なさが、尾燈のようにかがやいている。(略)
 鷹女さんのこの一句は、あきらかに老の哲学を内在せしめたニヒリズム俳句である。その快感は、「椿となつて踊り」うごく快感である。否定し切つた揚句に肯定された生。そのあまりにも日本的な世転生にむせぶ姿形。読者はそれぞれの年令において、この一句に色つぽく突き放されたり抱き寄せられたりすることであろう。時間と空間が、これほど緊密に生きいきと関わり合つている俳句は少いのである。

この一句は超季とか無季というより「全季的である」という。老いと椿を結びつけて「残存者意識の濃度」などと言うところが耕衣らしい。

●昭和36年5月号(第141号)
須磨雑記より

 塚本邦雄氏に「こんな人の本を読みなさい」とすすめられたその著書の中に、石川淳があつたが手をつけずにいた。古本でみつけた単行本は三冊ほど買いため、文庫物も溜めているうちに、先達て「石川淳全集」(筑摩書房)を店頭でみつけて見せて貰つた。壱千部限定の千九百円というので驚いて手をひつこめた替りに、昨年六月に出た「夷斉饒舌」という随筆集を欲しくてまだ手に入れていないことを思い出し、試みに注文してみたら在つて直ぐ書店から届けてくれた。(略)「夷斉饒舌」の中で一番に読んだ(のがー筆者補足)墓とホテルと……」という随筆である。/墓に興味をもつ私は、わが「琴座」が「墓座」と呼び替えられてもよい位、墓の俳句をつねにたくさん納めていることに気がつき、興味が革まつた思いだ。墓俳句の元兇は、やはり私だろうが、村上鬼愁に目下お株を奪われた形である。石川淳は「はじめての土地に行つて、遠くから未見の墓場をのぞんで、そこに墓らしい墓があるかないか、一目で見当をつける」という。(略)姫路市網干町にある盤珪禅師が開いた龍門寺には、哀感のこもつた素朴な美しい古墓がかなりたくさんあつて、私はソレを大へん欲しいと念願した憶えがある。
/ところで私の句に「造形の無知な墓前に掌を合す」という皮肉なのがあり、「墓の巣の浜の妊婦の翳もつ美酒(うまざけ)」という豪華なのがある。豪華といえば誰も知る金子兜太氏の名句「華麗な墓原女陰あらわに村眠り」は恐るべき創造力の迫つた句だ。

「琴座」が「墓座」に替えられなくてよかった(笑)。
話は松本清張の作品、「剥製」におよぶ。この小説は「剥製の小鳥」のアナロジイとして「剥製の人間」を扱っているらしい。思わず歓声をあげたとあるので、いつか読んでみたい。引用をつづける。

 私はいまひそかに、私の前著句集『吹毛集』につぐここ五年間の諸作を、イヤな思いで見直しながら整理にとりかかつている。イヤな思いといつても、同時にある種の快感を伴つているのだが、すでに「剥製」かもしれぬこれら自分の旧作を、墓場を散歩するような気持で、単にイヤというよりも、もつと肩の荷を下ろして、或る落魄者の徹底した気楽さで眺められたら、塚原太一(「剥製」の主人公―筆者注)のように、みづから別の剥製を用意して置いたりする必要はないだろう、と思つてみたりする。

 『悪靈』前夜である。句集をまとめた経験のある人なら共感きわまりないのではないだろうか。
「琴座」には耕衣に届いた手紙を掲載する欄があって、私など差出人に驚きつつ読んだものだったが、今号では三橋鷹女からの礼状が掲載されている。私信を誌面に掲載するなど、いまでは考えられないが、耕衣と各面々との信頼関係の証であろう。

 「琴座」いつも充実した内容で愉しく尚且いろいろ勉強させていただいてをります。「名句をたづねて」に拙句おとりあげ下され恐れ入りました。昨夜は三日女さんの歓迎の集りがありましたが生憎からだの調子わるく出られませんでした。花時になると毎年持病の胃が荒れ出して弱つてゐます。五月の俳評大会は盛会でありますよう今から念じてゐます。拙著「羊歯地獄」はこの下旬には出ることになりそうです。出来次第一部お送り申上度お目通しの上御批評御叱正下さいますよう……四月八日   三橋鷹女

●昭和36年6・7月号(第142号)

 この年の五月に耕衣は心臓障害で入院をよぎなくされている。編集後記で同人の石井峰夫氏が「本号よりは近く住んでいる関係から編集をお手伝いすることとなつた。」と記されている。ここまで耕衣が孤軍奮闘して発行してきたことが伺われる。
 巻頭の病床録・作品十二句の下欄に耕衣の芭蕉についての思いがしたためられている。耕衣は心臓障害の病床で芭蕉の俳句ににじみでている「生の信念」に思いを馳せる。

 芭蕉に関する誠実な新著が出るたびに、改めて芭蕉が玩味できるということは幸せだなと思います。絶対にアタマを使つてはいけないという心臓障害の病床で、僕はかくれるようにして小宮豊隆氏の新著「芭蕉抄」(岩波新書)を、少しづつ気ままに拾いよみしました。

誌面が尽きたので続きは次号をお楽しみに。

(『らん 88号』20.1.20)
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雨の樹のほうへ―清水径子の俳句宇宙 50

友よ友よと春の七草諳んずる (『雨の樹)

 本号の「季語のまわりで」は「春の七草」の一句鑑賞である。そこで佐藤すずこさんが「せりなずなごぎょうはこべら母縮む」(坪内稔典)を取り上げていて、そうか、と膝を打った。
 「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ」という言葉のつらなりは、逢うことのかなわぬこの世かの世の友を呼び出すための春の七草の力を散りばめた呪文でもあったのだ。掲句の「春の七草諳んずる」とは、その意味だったのだ。
 手許の『カラー図説日本大歳時記』によると「芹薺五形はこべら仏の座菘すずしろこれぞ七種」という文言は「年中故事要言」という江戸時代の国学者の書物に出ているらしい。七草粥を私は食べたことはないが、七草をきれいに並べてバック詰めしたものがスーパーで売られている。正月七日に七草粥を食べるという風習が雑煮やおせちとともにいまでも続いているのは、この呪文のような言葉のつらなりが、植物にシンパシーを寄せる私たちのDNAにしみついてしまったからかもしれない。七草という植物の力である。
 そんなことを思うのも最近、伊藤比呂美の『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』と『読み解き 般若心経』を読んで、お経というものの存在に思いがけない光を与えられたからだ。父が毎朝唱える般若心経を深く考えたこともなかったが、声に出して唱えることは死者との対話なのかもしれないと思いいたった。
 伊藤比呂美が現代語に訳してくれるお経はとても美しくわかりやすく粒だっていて、心にジワッと染みてくる。そのお経は径子が諳んじる「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ」ととても似ているような気がする。径子が「友よ友よ」と念じながら諳んずるその気持ちがわかる。春の七草の呪文の中に「ほとけのざ」が入っていることも私の連想をいっそう強くするのかもしれないが、それも季霊、言霊パワ―だろう。
 伊藤比呂美は『読み解き 般若心経』の最後で、母を見送り残された父の世話に行く道すがらの土手でつぶやく。これもお経であり、詩である。

 生きて死んだ。/芽生えて枯れた。/咲いてしぼんだ。/咲いてしぼんで、生きて死んで、枯れて芽が出た。
            

(『らん 88号』20.1.20)
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お盆とうろう

少女A茅の輪くぐれば光りだす

芋虫の眸が問えり夢ですか

蝶となる夢とも知らず夢蹴って

置き去りの蝶の脱け殻詩の器

虹の根で別れし犬の名はシオン

ピンボケの叔父立つ煙草くゆらせて

ソプラノの伯母は晩夏のオルゴール

杉の香の産道抜けて日本海

お盆とうろう吊り下げ極彩の母系

愛か幸か雲湧くヌスビトハギのはて

らん詠「座」
森茉莉の隣に座る枯葉カサッ

(「らん 87号」19.10.20)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

雨の樹のほうへ―清水径子の俳句宇宙 49

倒れたる板間の葱に似て困る (『夢殻』)

 奈菜さんとMMさんの連載「耕衣を英訳する」を毎号楽しみにしている。耕衣の難解句が英語になると、なんだか日本語のときよりも身近に感じられるから不思議である。86号では耕衣の「春の野の思い溜りに嵌り行く」の「思い溜り」が、「the puddle of yearning」と英訳されていた。漢字とひらがなの時空に溜まっていた情趣は、アルファベットの連なりの中でやわらかく春の野へ溶けていく。MMさんの解説を読むことで、翻訳の妙味に触れる心地がする。以前読んだ宮脇孝雄の『翻訳地獄へようこそ』に、翻訳とは「言葉を訳す」ことではなくて、「表現を訳す」ことだとあって記憶に残っていたが、小説と詩ではまたずいぶんとその匙加減も違ってくることだろう。
本号では『物質』から六句が取り上げられているが、耕衣の命日も近いある日、『物質』にすごい一句を発見をしてしまった。

 葱泊めて我も板間となりきはや  永田耕衣

掲句と並べてみてもらいたい。径子の一句は、耕衣のこの句への返信ではないだろうか。『物質』は1985年刊、『夢殻』は1990年刊だから、この推量は当たらずと言えども遠からずだと思う。掲句は「らん」37号(07年4月)の本連載第2回でそうそうに取り上げた一句だが、当時は耕衣の句の存在に思いが至らなかった。
耕衣の「板間」には華やかな賑わいの去った断念が漂う。耕衣の「我も板間となりきはや」という深い感慨に、径子は同じく晩年を生きる者として言葉をかけずにはいられなかったのだ。耕衣と径子のひそやかな交情は孤独の賑わいのひとつであったろうか。そもそも「夢の世の葱」は、耕衣にとって女人の象徴だったと言えるかもしれないなどと、思いは広がっていく。本号の「耕衣を英訳する」で取り上げられた「珈琲や葱を思いて熱かりき」も、「葱泊めて」を脇に据えると、「熱かりき」がいっそうくっきりと見えてくるかもしれない。そうそう、もてきまりさんは以前「葱=俳句」とも読めると書いていたっけ。それにしても、この「葱」を英訳するのは至難の技ですね、MMさん。

(「らん 87号」19.10.20)
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