記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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さねさしさがみ

思い出をひと束くださいここからは小川となって分け入っていく
凹凸のやさしく唄う雪野原

浅黒き手の甲にきてすぐ溶けてしまいし雪のようなシグナル
恍惚物質あふれて雪の降る町は

本を愛し心霊写真におののきぬあなたはいつも少年だった
きさらぎへさらさらと骨こぼしおり

階段の途中に座りひもすがら蝶に乗ること思いおりしと
さねさしさがみのここにもひとり石っこ賢治

父殺しの息子はやがて父となり息子を待てり殺されるため
春霞はじけば遠い遠い声

小鳥、月、舟かもしれぬ転生のころがっていくゆめのきざはし
サティ聴く羊水を浮きつ沈みつ

天上の雑木林を生れかわり棲みかわりして汝を待ちにき
雪がやんだよと山鳩に呼ばれたり

ミシン踏み小さな夢を縫っていた私のような娘のために
野遊びの駄菓子屋めきぬ母系絶え

パラスカ語とびかう寒き土地にきてちりばめられし破片を拾う
野水仙板を渡せば帰りくる

ほうれん草の根っこにまなこちかづけて洗いやまずよ悴む指で
うすむらさきのすとーる蝶になるまでの

光ひとつぶここに埋めておいたから忘れたころにきっと咲くから
泪わく沼より春は来るものか

隠れ家と呼ぶには明るすぎるから窓は大きく開け放つべし
拾いたり雀がくれの蝶番

機をすえ忘れるために織るという忘れ得ぬことと知りつつ
歪みたるガラスすり抜け黒揚羽

あれもこれも対なるものはみなひいな灯りのごとくそこここに置く
ひなまつりかたむきまわる星にすみ

かるがも一家消えたる沼はぽつねんと沼であること考えていた
しゃりしゃりと昔がよせる春の岸

縦書きのハングルはあたたかしほろほろほろとほぐれていった
朧夜の漢方薬を嗅いでみる

体内に不意に生れてゆっくりと死海のごときもの育ちおり
春宵に手足のばして雅やか

春灯のあふれて消えて午前二時街中が森に戻っていった
御殿鞠つぎつぎ咲きぬ新世界

鏡台もエレクトーンも布かぶり逝く春に耳かたむけている
転生の窓よりふわとシャボン玉

片栗ははや咲きはじめたりまっくらな谷の思惟から解き放たれて
南島へ手を振れば振る友わかし

らん詠「舞」
唐風に揺れる鶴舞東小学校

(「らん 85号」19.4.28)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

金子文子と朴烈

 二月十七日、韓国映画『金子文子と朴烈』(監督イ・ジュンイク)の初日に足を運んだ。原題は『朴烈』、英題は『Ansarchist from theColony』)と朴烈に焦点をあてたものになっているが、二人のW主演という内容からすれば邦題のほうがしっくりくる。
 約六十席のミニシアターのスクリーンいっぱいに金子文子のかがやくばかりの笑顔がこぼれた。演じているのは韓国の新鋭、チェ・ヒソである。笑顔も美しいが、その日本語も完璧だ。本人は日本語より「日本人が朝鮮語を話すように話すのがむずかしかった」と述べている。
 相手の視線をそらさない強い眼差し、口元のキュッと引き締まった意志的な笑み。現在の日本には、朴烈とともに国家権力に命をかけて対峙した金子文子の存在をここまで演じきれる女優はいないだろう。関東大震災当時の日本政府の朝鮮人虐殺をいまだに認めようとしないこの国では、文子と朴烈の映画を撮ること自体、むずかしいかもしれない。
 朴烈は民族主義者ではなくてアナーキストであり、人間対人間という視点に基づいた価値観をもっていたと監督は語る。文子はそこに共鳴して同志になろうと呼びかけたのだ。映画で文子が朴烈に初めてあったとき、「私もアナーキストです」と手を差し出すシーンは実に印象的だ。
 3・1運動から百年、文子のあの笑顔が二項対立の桎梏から抜け出す道を示唆しているように思われた。


(「らん 85号」19.4.20)
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【稲冨昭さんを偲んで】「修道院とプスチニアと」

 稲冨昭さんが二〇一九年一月に逝去された。享年九十一。「らん」六六号(二〇一四年七月発行)から七六号((二〇一七年一月発行)まで、「百花繚らん」に投句してくださり、らん句会にも足を運んでくださった。句会の折には優しさの中にも厳しい句評を連発され、出席者一同、タジタジだったことを思い出す。
 句会報に寄せてくださった「聖なる虚空間」の中に、稲冨さんの俳句観が端的に示されている。「何一つ虚飾のない凝縮された真の言葉での詩句」……それは俳句にかぎらず詩を書く人の究極の目標かもしれない。そして、もっとも困難な命題であるかもしれない。
 カトリック教徒でもあった高橋たか子の小説『亡命者』の中に、プスチニアという小部屋が出てくる。パリの5階建てアパートの最上階にある縦3メートル、横2メートルほどの瞑想生活を送るための空間である。私は折に触れてプスチニアのことを思ってきたが、稲冨さんと俳句という詩の器を間において、ル・トロネ修道院とこの何もない小さな空間について話してみたかった。確かな実在とは、詩的真実の謂いでもあるだろう。稲冨さんの俳句が私にそう話しかけてくるようだ。

(「らん 85号」19.4.28)
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雨の樹のほうへ―清水径子の俳句宇宙 47

生の空死の空いまは春の空 (『夢殻』)

 『金子文子と朴烈』につづいて同じイ・ジュンイク監督の『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』(二〇一六年公開)をレンタルで借りた。朝鮮半島の中国、ソ連(現ロシア)、日本の利害が複雑にからまりあう北間島に一九一七年に生れ、四五年二月に福岡刑務所で二七歳で獄死した若い詩人の生涯を描いた作品である。
 東柱は四二年に立教大学に留学。同年、京大に留学していた従兄弟、宋夢奎を追って同志社大に転学して女学生、クミと出会う。チェ・ヒソが演じるクミは、身辺に特高の手が迫り危険な状態にさらされている詩人に、その詩を朝鮮語から自分が英訳するからアメリカで出版しようと提案する果敢な女性である。
 実際の東柱は日本に渡る前に七七篇をまとめて『空と風と星と詩』の出版を思い立つも果たせず、自筆で三部をつくり、友人らに贈ったという。いまはこの自筆詩集を定本としたものを岩波文庫で読むことができる。日本占領下にあって、朝鮮語で詩を書くことは排斥されていた時代であった。
 映画を見、みずみずしい詩篇にふれながら、私は李良枝(イ・ヤンジ)を思い出していた。『由熙(ユヒ)』で八九年に第百回芥川賞を受賞した在日の作家は、日本と韓国のはざまでの創作にもがき苦しみ、九二年、三七歳で急逝した。李良枝の美しい面差しは、どこかチェ・ヒソに似通っているのだ。
 『由熙』では、母国である韓国に留学したものの、どうしても韓国も韓国語も好きになれずに苦しむ在日の由熙の姿が韓国人の女性の視点で描かれている。生国と母国に引き裂かれる作家たちの苦悩を思うとき、生まれ落ちた場所の言葉を何のためらいもなく母語として使い、伝統的な詩型に自分の想念を委ねていることの意味を問われていると改めて感じる。
 空は同じ春の空なのだ。その下にひろがる生死もまたなんら変りのないかけがえのなさで存在している。径子はそんな空を一句に呼び込んだ。
 そうなのだ。俳句でなら、瞬時にそれを伝えることができるのだ。
俳句という古典的な詩形にいまさらのようにこだわるのは、意味だけでなく、日本語から立ちのぼる文字の形や声や匂いまでをも、国家や民族を超えて魂の深部まで届けることができるのではないかと夢想するからだ。

  鶴来るか夕空美しくしてゐる   『夢殻』

 この国境や民族を超えた空の美しさを、そのままそっくり誰かに手渡したいのだ。

(「らん 85号」19.4.20)
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帰郷

秋草のあちこち向きてララバイ

老い方が足りぬしろばなさるすべり

アキアカネの大洪水を抜けられぬ

蹌踉けつつ下る奈落は石蕗あかり

床の間のこけしさざめく雪来るか

ただひとつ雪見障子を所望せり

青空へすがれし庭の羽化はじまる

秋は水湧いてこぼれて小鳥となる

銀河系の雪降る沼へ黄昏へ

静かの海べ林檎ことりと透きとおる

らん詠「寿」
変身の壽美子か蓬かぐわしき

(「らん 84号」19.1.20)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

『らん 83号』同人特別作品20句集を読む

「了解。」西谷裕子
 季節の移り変りやさり気ない日常に仮託して、果てしない喪失感がつづられているようだ。
 
  了解。たったそれだけ 藤は実に

 「了解。」はどこから届いたメッセージなのだろうか。メールのやりとりの一コマかもしれないが、こういいとめられると、もしかしたら向こう側の世界から届いたの? と言ってみたくなる。過日みたTVドラマ『シグナル』では、十五年の歳月を越えてトランシーバーで交信する男たちが描かれていた。この句の「たったそれだけ」にこめられているのは、そんな向こう側から届いた短い便りに対する物足りなさ、もっともっと「声が聞きたい、語り合いたい」という渇望だ。藤は実を垂れ、世界は夏の只中だというのに、私はひとりここにぽつねんと取り残されている。短い俳句への恋慕が重なる。

  ドーナツは浮き世の匂い昼寝覚

 この句では、ドーナツの匂いを懐かしむ作者自身は向こう側の世界の住人であるかのような眼差しをこの世に向けている。ドーナツは懐かしさの象徴として、はるかかなたに土星のように浮いている。

  気がつけば秋霖の中 夢の中

 「秋霖の中」に続く一字空白が作者の深い吐息を思わせて、さびしさが立ち込める。

  露を踏む足裏からふっと転生

 待って、と呼びとめたい思いにかられたが、この転生はなにか明るい兆しを感じさせはしないか。「足裏からふっと」が、かろやかな自己放下と言ってみたいようなほのぼのとしたものを醸し出している。
 ミニエッセイの「紙の媒体が好き」に共感した。

「ブループラネット」青い惑星に寄せて 服部瑠璃
 今回の二十句はTV番組から想を得たとミニエッセイに記されている。氷河や秘境、深海といった、人間が立ちいることのできない領域が居間に忽然と現れる。それを詩に掬いとるのはたやすくはないが、いろいろとデッサンしているうちにコツンと心に触れてくる言葉に行き当たれたらしめたものだろう。
 作者は、地球が水の星であること、あらゆる命の源である海の世界で展開されている生の営みの美しさに改めて圧倒されたのだ。
 地上の生き物である作者が海の生命体と感応して震えている句に惹かれた。

  鱏めくれ恋の乱舞の春の泡
  魚むれてほどけ夕焼を彷徨す
  共喰ひの水底の碧優しけれ

 海中の生き物たちも、地上同様、自然の変化にその命を委ねて生きている。「春の泡」や「夕焼」という季語が海の蒼さ、透明さ、とろけるような水の姿態を増幅させる。三句めは無季だが、「共喰ひ」の強烈さが季語を代替して、海の存在感を際立たせる。

  大烏賊のしなやかに住む海の闇
  海澄めり死を喰べ尽くし骨の砂

 海の世界も陸同様に弱肉強食だろうが、水は烏賊のしなやかさをよろこび、どこまでもやさしい。海は無数の「死を喰べ尽くし」たのち、美しい砂として骨を水底に蓄えて澄んでいるのだ。「住む」と「澄む」は静かに呼応しているようだ。「海の闇」はあかるい。

二十吃(萍) もてきまり
 句を「吃」と記す作者にとって、俳句は不安や緊張のゆえに生じる表現の吃音なのだろうかとときどき考える。強烈なコミュニケートを希求しつつ懊悩する「吃」に、今回は「萍」と副題がついている。

  肉体に奥の細道あやめ咲く
  罪犯すダリアも乗せてノアの船
  古池の萍として遊びをり

 あやめもダリヤも萍も作者の自画像にちがいない。そして、道野辺に咲くあやめに息を合わせ、傷ついたダリアをそっと船に乗せ、萍の気儘を慈しむ旅人のようなもう一人の自分がいる。
 遊びほうけ、歩き尽くしてふと気がつけば、

  関係は螢となりて二人かな
  出奔をとどまり傾ぐ青林檎

 螢といい青林檎といい、どこまでも美意識にこだわる作者だが、

  日本海夕焼を着て車掌来る
  生前を旅してをとこ西日宿

 こんな対幻想の黄昏を茶化すかのようなユーモアも忘れていない。

  蠅叩さうして誰もゐなくなる

 最後の一句、終末を告げる神の手にあるのは、なんと蠅叩。パチンという残響が耳に残る。

(「らん 84号」19.1.20) 
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雨の樹のほうへ 46

樹も橋もこの世にありぬ深雪晴 (『哀湖』)

 昨年十一月に、詩人の秋山清氏を偲ぶ〈コスモス忌〉に参加した。毎年様々な講師を招いて詩歌や文学をめぐる貴重な講演が行われてきたが、第三十回のこの日の講演は原満三寿氏の「俳人・金子兜太の戦争」だった。原氏は七八年に同人誌「海程」に参加し、「海程」が兜太の主宰誌になった八五年に退会されたが、二〇一五年に三十年ぶりに通交が復活したのだそうだ。表題の〈戦争〉は太平洋戦争ばかりでなく、戦後の日銀時代なども含む、兜太にとってのあらゆる戦争であるとし、副題の牘親安里ら存在体へ瓩魎霄瓦法兜太への洞察にあふれた分析を展開された。晩年は運動体から存在体へとシフト。秩父への帰還を願いつつも、一方で現政権がおしすすめる〈戦争〉への強い抗議を行った。俳句はメッセージ性の強いものになったことが惜しまれるが、辞世の句、「河より掛け声さすらいの終わるその日」にいたって産土との交歓を果たしたとしめくくられた。
 径子は一九一一年生まれで、径子が兜太より八歳年長である。全句集に収められた自筆年譜の昭和三一(一九五六)年・四十五歳の項に、「東京本郷病院に初期結核で入院、耕衣先生より見舞いに金子兜太句集『少年』を賜る。集中の一句、『白い人影はるばる田をゆく消えぬために』に大いに励まされる」と記されている。径子から兜太の話を直接聞いたことはないが、自筆年譜にあえて一句を引いてまで書き遺したことから察するに、若い兜太のエネルギッシュな創作活動にシンパシーを寄せていたにちがいない。
径子の俳句表現における〈戦争〉は深く沈潜して、生涯を通じて句に投影されていった。戦前に左翼運動にかかわったとして警察の厳しい尋問を受けて心身を病み一九三七年に亡くなった弟のことは、最も直接的に径子の心に傷を負わせた〈戦争〉であったと思う。弟の句については以前に本欄で取り上げたのでここでは割愛するが、「橋」もまた径子の〈戦争〉にとっての大きなキーワードではないだろうか。『哀湖』には掲句のほかに「橋」を呼び込んだ印象的な句が、もう二句ある。

  橋わたるところで晴れて嫁菜摘
  摑まつて我れは螢と橋わたる

 これらの「橋」には、対岸への通交を可能にする明るい希望がこめられている。最後の句集『雨の樹』所収の「戦するないづこも春の橋壊すな」はいささかストレートに過ぎるかもしれないが、径子の生涯を通じての祈念であった。

(「らん 84号」19.1.20)

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【書評】正木ゆう子 著                             『猫のためいき鵜の寝言 十七音の内と外』                     ―「図書新聞」18.12.1号

 本書は西日本新聞に二〇一八年五月から七月まで土日をのぞく毎日、十週連続で掲載されたコラムをまとめた一冊である。
 ほぼ毎日八〇〇字の文章を一〇週にわたって書くという作業はなかなかしんどいことではないかと思うが、「週一回ならば一年かかる回数を、二か月半で書くことは、大変どころか、思わぬ楽しさだった。」と著者は記す。
「そういう書き方のエッセイは、どこか俳句と似ている。普通なら素通りするような何でもないことを言葉にするのが俳句ならば、短いエッセイも、誰にも起こっている普通のことを掬いあげて書くのである。」(あとがき)
 そんな著者の心楽しさが横溢する弾みのある文章と、末尾に置かれた俳句の絶妙な交響にたちまち引きこまれた。
二階の仕事場と一階の台所を行き来する日常、夫と車で出かける旅、飛行機での故郷熊本との往来……著者の日々のそこここから俳句が湧き出している。文末に置かれている俳句にはすでに句集でお目にかかっているのだが、そうか、こういうことだったのかと新たに出会い直すような楽しみも本書の魅力だ。
 著者も六〇代半ばにさしかかり両親や親しい人々との別れがつづく。降り積もる淋しさを俳句が受け止める。熊本市健軍町は著者の故郷だが、「健軍町行き」の項では、「人に伝わってこその俳句だが、これは伝わらないだろうな、それでもいい、と思って作る句がたまにある」と著者は明かす。「どこか奥深い急所に触れて、なかなか忘れることができなかった」想念も、「俳句にすれば、あっさりと片付けることができるのである。/十七音の俳句という小さな箱に入れ、ラベルを貼って棚に仕舞う。思いはもう私のものであって私のものでなく、棚に並べて眺めることができる。/こんなときの俳句は、まるで作り手が俳句に助けを求めているようなものである。」
そして、次の一句が最後を締めくくる。

  根の国へ最終市電春灯

 伝わらなくてもいいと思って作った一句かもしれないが、エッセイを読み一句を読むと、同世代の私もまた「最終市電の灯」が遠ざかっていくのをじっと見送りながら、ずいぶんはるかな場所まで連れていかれたような気がした。文章だけだったら、こうはいかないにちがいない。
 著者は「たった一度すれ違った人、一羽の鳥、過ぎった思い。微かなそれらを、俳句とともに書き留めてみたい」と書く。微かなものの中には蝶がいる。石がいる。風が、蛸壺が……しかし、やがてそれは酵母や漢字の文字や納豆にまで飛び火。読みながら意表をつかれ、思わず噴き出したりしているうちに、深まっていく日々は哀しく淋しいだけでなく、暖かく懐かしいものであることが心に染みてくる。
 さしたる変化もなく繰り返される日常のいったいどこから詩を汲み上げて俳句に凝縮させるか。俳句を書く人なら、さりげないエッセイを通じて著者が俳句創作の秘策を惜しげもなくさらけだしてくれていると感じるかもしれない。「忘れられないときは、俳句にする」。しかし「忘れようとして詠んだのに、句にしたせいで」いっそう鮮やかに刻印される。それが俳句だ。だから、あの一瞬を俳句にしておくだけで、鮮やかに手繰り寄せられるのだ。3・11以降、著者は福島や熊本などの小学校で俳句教室を開いてきた。その授業風景が三回にわたって描写されているが、ある雨の日の授業のときに思いついたという「心の中を見てみよう」などはまさに著者の面目躍如。小学生たちと懸命に向かい合う著者から、俳句への愛がほとばしっている。
 はるかな宇宙との魂の交感は著者の俳句の魅力であるが、本書の掉尾「星糞峠」は石器時代の黒曜石の鏃にふれてこんな文章で締めくくられている。
「遺伝子の螺旋を辿って自分の奥深くへ分け入ってみれば、その頃の痕跡が残っているだろうか。螺旋の奥の遥かな太古に、私は私の裡で辿り着きたい。」
 かつて著者が「〈今〉は私の存在そのものであり、厳密に言えば私の命のことであった」(『十七音の履歴書』)と記していたことを思い出す。「私は私の裡で辿り着きたい」という一文から著者の万感の思いを手渡されたような気がした。
 そして、最後の一句は、「地に星糞天に星糞去年今年」。
「星」と「糞」の二つの文字のギャップに心をときめかせる著者のお茶目な一面は、「猫のためいき鵜の寝言」という本書の楽しいタイトルにも表れている。表紙や扉を飾る少女は著者の化身かもしれない。

(春秋社刊・18.10.17 四六判 144頁 本体1700円)
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抒情のゲノム

郭公啼けば三千世界水ぐむよ

紫陽花の枯れて始まる物語

つるばらつるばら追憶はアンダンテ

透明に咲き出るこの世は真昼

白南風が抒情のゲノムずたずたに

稲妻の突き刺すホテルカリフォルニア

船が出る夕焼の奥へジパングへ

花芙蓉媼ら明日にまどろみぬ

短夜や吊るされ揺れて哭いている

未草揺れる辺りで上陸せよ

らん詠「無」
頭蓋骨の眼窩は無心浜昼顔


(「らん 83号」18.10.20)
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一句鑑賞「秋の雨」

雨ふれば雨ふる黄泉か菊膾
       中尾壽美子

 雨が降る。世界が雨音に満ちる。秋になったのだ。過ぎてゆく時間の裏側に、パラレルワールドのように黄泉が透けて見えてくる。一句を「菊膾」で言いとめたとき、花びらを食べるという人の営みの憐れさが改めて浮上してくるようだ。昔、夫の母に教えてもらって、菊膾をはじめて自分でつくった。菊は薄紫色の「もってのほか」。シャキシャキと繊細な歯ごたえとほのかな香りに感激した。
「きつね雨黄泉にも春のあるらしき」は掲句と同じ第四句集『舞童台』の句。壽美子はいつも黄泉の消息に心を傾けていた。


(「らん 83号」18.10.20)
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