記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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【句集評】巣という迷宮――増田まさみ第五句集『遊絲』を読む

 句集をひらくと、巻頭の一句からたちまち未知の言葉宇宙が立ち上がってくる。一句一句が暗黒の宇宙空間にぽっかりと浮いた天体のように謎めいて存在している。増田まさみの句集は、いつでもそんな驚きと感動を私にもたらしてくれる。最近観た映画『メッセージ』では、未来予知能力のある言語学者が時間の流れを逆流させるかのような脳内トリップ(?)によって、異星人との意志疎通の鍵を見つけていく。
 増田まさみの俳句は遠い未来からの伝言のようでもあり、太古からの消息のようでもあり、異星人との対話のようにスリリングである。解読のきっかけをつくるのは記憶の古層に埋められている化石かもしれないが、それが実はこれからやってくる未来かもしれないという逆転を秘めている。

  かげろうや太古を奔るわが屍
  あめつちや罪か罰かと亀鳴いて
  紅梅や先祖返りの舟いでゆく

 いちおう、季語が第一のキーワードということになるだろう。「かげろう」は時空をワープする通路だ。だから太古へたちまちに降り立てるし、未来の私が屍となって走ることもありだ。
 次の句はちょっとむずかしい。実際の亀は鳴かないのに「亀鳴く」という季語自体、シュール。で、鳴かないはずの亀が「罪か罰か」と鳴いているのは、「あめつち」つまり世界の有り様自体への疑義のざわめきなんだろうな。
「紅梅」は妖しい。色も香も悩ましい。紅梅の辺りにはいつも小暗さがたちこめている。「先祖返り」は、辞書によると「生物が進化の過程で失った形質が、子孫において突然現れること」だそうだ。この舟は、お椀の舟に箸の櫂で決まり。死者に向かう旅はミクロの決死圏への出発なのだ……。
 このように読むことも許されるだろうという融通無碍な懐の深さが、増田まさみの俳句を魅力に満ちた迷宮にしている。
 迷宮と言えば、こんな句がある。

  老鶯や巣は迷宮と言い添えて   まさみ

 「老鶯」は必ずしも老いた鶯と考えなくてもいいとはいえ、世界を差配する老いた魔女のようなイメージを喚起する。この句はぜひとも隣に鷹女の、

  老鶯や泪たまれば啼きにけり   鷹女

の一句を置いて、じっくり味わいたい。鷹女の句は晩年のやるせなさがにじむ。「啼きにけり」が激しくも切ない一句だ。いっぽう、まさみの句は、「巣は迷宮」と謎めいた伝言を残して飛び去った老鶯が幻視される。からっぽな鳥の巣のふんわりと風をはらんだような軽やかさも伝わってくる。
 句集に分け入るにつれて、少しずつ謎が解けていく。

  誰も去(い)ぬ天上へ巣を返すため
  淡雪や巣藁に潜むおとうとよ
  晩秋の鳥籠のまま翔びゆけり
  鳥籠に数羽のわれや山ねむる

 なるほど、巣は森の奥に残されたわけではなかったのだ。あなたも私も使徒、老鶯に導かれて、いずれ巣という迷宮を天上へ返すために旅立つ存在だ。この迷宮は淡雪をかぶり弟を匿ってやさしい。巣という迷宮には地上ですごした時間が丹念に織り込まれているだろう。鳥籠は梢にかかる巣への憧れを秘めた哀しい、もう一つの迷宮だろう。
 さて、本句集は〈機/紊侶蝓咫勠供\罎侶蝓咫勠掘”の穴〉に章わけされ、帯文には「〈穴〉は再生のシノニムである」と記されている。

  緑陰や穴には穴を充たしけり  
  人体の穴は灯りか萩かるかや
  蝉穴も火口もさみし歯を磨く
  からっぽの柩なれかし冬北斗  

 穴は土の匂いがする。蝉穴も火口もさみしいが、口腔もさみしい穴だ。そのさみしさは命そのもののさみしさ。穴の暗がりは産道のほの暗さだ。巣は魂の入れものとなって山野を飛び、穴は地にあって命をかもす。だから柩はいつもからっぽなのだ。
 表紙画は川柳作家墨作二郎氏の手になる。また、集中には畏友六車明峰氏のまさみ句をしたためた「書」、山中ゆきよし氏の詩が収められていて、増田まさみを愛する人々の思いが伝わってくる。

(『らん 78号』17.7.10)
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百花繚らん【選評】

●稲瀬白子
白藤の我を忘れている母よ
丁寧に冗談言って苧環の花
認知症ともいう花馬酔木咲く
健忘のいとたくましき豆の花
※俳句の素晴らしさは何と言っても短さにある。多くを語らないからこそ、万感の想いが伝わってくる。「白藤」も「苧環の花」も「花馬酔木」も「豆の花」もこのように母であったことがあっただろうか。

●稲冨昭
雷鳥の落石ひゞく長き尾根
花影の石疊踏むさりながら
※「雷鳥の落石」は雷鳥が飛び立つときに崖の小石が転げ落ちたということだろうか。雪渓に木霊する落石の音が耳を離れない。二句め、「さりながら」に、「露の世は露の世ながら……」の一句が木霊のように重なる。立山や上高地の初夏のすがすがしさのあとから寂しさがやって来る。

●海上直士
菖蒲草訪ねて来たのは須佐之男か
ボクシングまねしてみせる父の病
※俳句は詩である。まずは季語や五七五と格闘してほしい。「菖蒲草」の一句は、季語が神話の主人公にリアリティを与えて愉しい。二句めにも、「父の病」が立ち上がる季語がほしい。

●桔梗たかお
芹くらき水を流してひと澄めリ
藪枯し空を摑みてから墓へ
はつなつの風や恋風躱しゆく
※一句め、「芹」の根を洗い流れる水を「くらき」ととらえ、芹が人間の穢れを身代わりになってくれたと見たと読んだ。「藪枯らし」も「初夏の風」も「ひと」の変身態として感受すると、面白い。俳句ならではのマジックである。

●柴田獨鬼
花の翳幽かな風の異界より
この国の螺旋階段夏隣
香水や壜の底より忘れ物
※異界より吹きつける「幽かな風」と「花の翳」を配した繊細さに共感した。「この国の螺旋階段」という把握も意表をついている。香水の壜の底にある忘れ物、何だろう。気になる。

●関根順子
うららかやゴディバの箱のリボン解く
「猫町」は路地奥にある冬のまち
花曇り詩人になれそうなんとなく
※「うららかや」という季語に「ゴディバの箱のリボン」はユニーク。「詩人になれそう」という感慨が「なんとなく」とはぐらかされるのも愉快。俳句ならではの奇襲をさらに。

●所薫子
飛鳥路を友と語りてスニーカー
青空にエゴノキ咲きてクマン蜂
※「飛鳥路を」の句、スニーカーのかわりに季語を工夫すれば、友との旅がくっきりと浮かび上がってくるのでは。「青空にエゴノキ咲きて」は面白い表現だが、「えごの花」という季語を使えば「咲きて」は不要。その分でさらにいろいろなことが言えそうでもある。

●丸田和子
花すぎの雨のしづけさ戻りけり
一枚のハンカチの花捨てかねて
春の夜の夫の骨壺けぶりたる
夏蝶に行きも帰りもさようなら
※俳句に詩を盛り込むことをよろこびとしている方と思う。「花すぎの雨」と「しづけさ」の取り合わせがみずみずしい。二句め、「捨てかねて」が効いている。「骨壺けぶりたる」には圧倒された。次回作が愉しみだ。

(『らん 78号』17.7.10)
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【書評】三宅やよい 著『鷹女への旅』                     ―「図書新聞」17.6.24号

 三橋鷹女は俳句の世界で近づきがたい孤峰のようにそびえたっている。第四句集『羊歯地獄』の自序の一文、「俳句を書くことは、一片の鱗の剥脱である」という厳しい独白は、あまりにも有名である。その作品の圧倒的な存在感の前に佇むばかりであったが、あるとき勤め先の二回りも齢のちがう同僚が「鷹女の句が大好きで図書館で全部ノートに書き写したんですよ」と話してくれてびっくりした。私の大好きな「ひるがほに電流かよひゐはせぬか」「月見草はらりと地球うらがへる」「炎天を泣きぬれてゆく蟻のあり」「絶壁に月を捕へし補虫網」などは、同僚の愛唱句でもあった。鷹女の俳句はとっくに俳句の世界を飛び出して広く深く愛されていたのだ。
 本書は鷹女を愛する人々に、ぜひ繙いてもらいたい貴重な一冊である。著者が現在副代表をつとめる「船団」に、二〇〇五〜二〇〇八年まで一五回にわたって連載したものがもとになっている。著者が夫君の転勤に伴って関西から東京に転居したときに、「船団」代表の坪内稔典氏から鷹女について調べて書いてみないかと提案されたのがきっかけだったそうだ。
 著者は鷹女の俳句に導かれるように、鷹女の生まれた成田に足を運んで貴重な資料に当り、面識のあった人々に取材し、ともに暮らした息子陽一氏と妻の絢子さんから話を聞きながら、鷹女の俳句人生の変遷を丹念に追いかけていく。実は私も吉祥寺に二十年以上暮らしていた。しかし、長く鷹女の俳句に傾倒してきたのに、その住まいのあとなりを訪ねてみようとすら思わなかった。著者の鷹女への思いの深さとその果敢さに改めて感じ入りつつ、鷹女のさまざまな人生の局面と俳句とのかかわりを新鮮な気持ちで読み進めた。
 「成田時代」を読み、成田は私が思っていた以上に鷹女にとって大きい位置を占めていると感じた。産土の時空からどのように詩を汲み上げ、俳句に凝縮させていくかは多くの俳人にとって永遠の課題であるが、鷹女の詩の淵源のひとつは、女学校の裏山、不動ヶ丘周辺だった。裏山の小暗い木下道は地下水脈となって以後の鷹女の俳句を支えていったのだ。
 鷹女が昭和十五年に第一句集『向日葵』上梓以後、高柳重信の招請を受けて昭和二十八年に「薔薇」に同人参加するまで、結社に属さずに俳句を書き続けてきたことは、当時としては稀有のことだったのではないかと思ってきた。俳句書く人間が結社に属さず、自らの作品を世に問うていくことは並大抵のことではないだろう。しかし鷹女は孤独な作業を続けていたわけではなかった。本書によって、昭和二十二年頃から職場句会「ゆさはり句会」を指導していたことが大きな比重を占めていたことを知った。「この句会の指導と付き合いは長らく鷹女の生活の一部だった。鷹女のここでの在り方から今まで見えていなかった鷹女の別な側面が見えてくる」と著者は記す。鷹女は俳壇とはあまり交流のない孤高の作家ではあったかもしれないが、「この(ゆさはり句会―引用者注)交友は長らく続く。この時期の鷹女は一人ではなかった」のだ。
 ゆさはり句会に出した句は昭和二十七年発行の第三句集『白骨』にも多く収録されている。著者は「天が下に風船売りとなりにけり」を挙げ、「(折笠美秋とともにー引用者注)高柳重信もこの句を『昔ながらの鷹女の機智が、次第に深まりを見せながら正確に捉えた不思議な寂しさである』と評価している。『俳句評論』の切れ者たちがそろって評価するこの句が『ゆさはり句会』の兼題から作られたこと。俳壇とはまったく無縁の会社の一サークルの集まりで作られたことに私は嬉しささえ覚えるのだ」と述べている。高名な「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」もここから生まれたことを知り、私もうれしくなってしまった。
 戦前はモダニズム詩や新興俳句、戦後は赤黄男や重信など「薔薇」同人たちの作品の影響を受けつつ、時代の空気を敏感に察知して自身の鋭い言語感覚を深化させていった鷹女の俳句は、実は著者、三宅やよいの俳句表現にも通底するものがあるのではないだろうか。自分とひたすら向き合う孤独な営為と、親しい仲間との交流の中で喚起される情感とが織りなすタペストリーが俳句という詩であることを著者は鷹女への旅によって、再確認していったのにちがいない。本書のあとがきには「鷹女が旅の最後にたどり着いた不思議な静けさに満ちた言葉の地平をもう少し掘り下げられるのではないか。と最近考えはじめました」と記されている。著者の鷹女への旅はさらにつづく。

 

(創風社出版刊・17.4.7 四六判 208頁 本体2000円)

 

 

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一句鑑賞「菜の花」

余生とは菜の花に手の届くなり
         中尾壽美子

 余生や晩年、老いという言葉を俳句に持ち込むのはあまり好きではないが、掲句によっていかなる言葉も詩に昇華できることを教えられる。こう書かれると、菜の花はある年代にさしかからないと手にすることのできないはるかな彼岸に灯るあかりのように思われてくる。さまざまな植物を身辺に引き寄せて壽美子は変身を重ねていった。「はればれと水のむ吾れは芹の類」「充分に老いて蓬に変身す」「長生やある時間以後揚羽蝶」…老いていく時間のかくもみずみずしいことに驚くばかり。


(『らん 77号』17.4.10)
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漣すぎるものたちへの挽歌                 ――岡田一実第一句集『小鳥』を読む

 岡田一実さんは七一号(二〇一五年十月発行)かららんの同人に加わってくださった。前年に現代俳句協会新人賞を受賞されている。二〇一〇年には第三回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞を受賞され、その言語感覚の鋭さ、深さが注目された。らん誌でものっけから「男娼と見てゐる菊の豪華かな」「煩悩や地平に月の暮れまどひ」などの作品とともに登場し、私たちを驚かせた。骨太の句があるかと思うと、「うそ寒や首に紐ある抱き心地」「毛衣の雨にあたりて濃く匂ふ」など繊細で濃密な句あり、「キリストは磔刑にして腋涼し」「川に泳げば汝は天啓を受けし蛇」と、モチーフも多彩である。ネットのスピカで「図書館コラージュ」というユニークな俳句創作の試みもされていて瞠目した。一読をおすすめしたい。
 第一句集『小鳥』は二〇一〇年までの作品、第二句集『境界 ‐border‐』は二〇一一年〜一四年までの作品が収められている。らん句友のもとには昨年末に二冊一緒に送っていただいた。第一句集は発行当時四十部足らずだった私家版を第二句集を編むにあたって復刻したものだそうだ。私たちがいま手にしているのはその二刷版である。らん七六号に寄せられた略歴によると俳句をはじめたのは十年前で、きっかけは「十年前に愛犬が他界したこと」と書かれている。
 出立のころの岡田一実の俳句には、すでに今日の彼女がいる。まずは巻頭の一句。

  木よ人よ漣(さざなみ)すぎるものたちよ

「漣すぎるものたち」とはいのちの気配のようなものだろうか。早春のまだ冷たく澄んだ空気が、静かにゆっくりと波紋を拡げていくのが見えてくる。

  あちらから見し芽柳の内側へ
  駈け上がれば水仙肺に痛きかな
  まづ光のびて生まるるしやぼん玉

「あちら」からこちら側へ、「芽柳の内側へ」、いのちの不思議へ潜入していくために俳句はあるのに違いない。「駈け上が」る若いいのちが、あちら側と呼応する。「水仙」も「しやぼん玉」も光を帯びて輝いている。
 光を帯びて震えているものの前に立ちどまる。たちどまるだけでなく、「開いてみる」のが作者だ。

  壺焼の網こんこんと震へけり
  猫柳開いてみるために一つ
  五月雨や尻尾から震はせてゆく
  傘振つて雨粒は万緑の粒

「尻尾から震はせてゆく」のは、愛犬だろうか。雨粒をたたえた傘も尻尾を持つ動物のようにいのちの震えを帯びて万緑を映している。
 岡田さんは生死も宇宙もやすやすと掬い取って自らに引き寄せる。

  火星めく果実のやはらかく冷ゆる
  網の目にさらはれてゆく銀河かな
  囮ある言葉に小鳥ここへ来よ

「火星」と手のひらの「果実」に通路が生まれる。「網の目」の句では私の想念は一つの「銀河」に凝っている。暗い宇宙をさらわれていくのは私なのだ。次の一句はややむずかしいが、私が「囮」を仕掛けた言葉の森へ小鳥を呼び込んでいると解してみた。小鳥の生死を自らの言葉の森の囮に拮抗させているのだ。
 掉尾の一句は、

  夜をゆく夜の中より光の戸

「光の戸」が見えてくる。近づいていくのが怖い。しかし一歩一歩近づいていく。それが俳句なのだというように。
 本句集の局瑤砲蓮短句七七が収められている。歌仙を巻いたときの収穫なのだろうか。あるいは七七という詩型に挑戦してみたのかはわからないが、これも面白かった。

  春の水なら垂直にあり
  弾けたるものすべて風船
  チューリップをも切符としたり

有無を言わさず世界を切り取っていく断定の小気味よさ。しかし、繊細な手さばきものぞく。「七七という器もありだな」と納得させられる。

  ここは夕凪だれも呼ばずに
  火蛾と私つねに火のそば

しずかな充足の入り江に実は激しさが潜んでいることに気づかされる。

  小鳥遥かに星をたのしむ

小鳥は言葉との永遠の随伴を愉しんでいるようだ。


(『らん 77号』17.4.10)
 
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「『狂うひと』の哀しみ」

 梯久美子の『狂うひと』を一気に読んだ。島尾ミホの評伝ではあるが、もう一つの島尾敏雄論といってもいいだろう。特攻隊の隊長としてミホの住む加計呂麻島に着任した島尾敏雄は、ミホの「隊長さん」である以上に「小説家」だったのだ。 
 読み進むにつれて、学生時代に『死の棘』を読んだときの衝撃が昨日のことのようによみがえってきた。「あいつ」をめぐる二人の強烈なぶつかり合いに息をのみ、狂ったミホと一緒に精神病院に入院する敏雄に、私もミホのように「隊長さん」を見ていた。「私の隊長さんはどこにいってしまったのでしょうか」というミホの嘆きが、私の心にも焼きついて離れなかった。加計呂麻島は私にとって、対幻想の聖地のように思われた。
評伝では『死の棘』の起爆剤ともいうべき「あいつ」をついに探し当てる。ミホの知られざる心模様も明かされていく。膨大な資料をもとに十年を費やした丹念な作業に圧倒されるとともに、どうしようもない哀しさを禁じ得なかった。
 島尾敏雄は女たらしである。悪い奴である。そしてとてつもない作家である。ミホは自身にはからずも付与された「巫女性」を汚すことなく体現しつづけるために狂うしかなかったのだ。戦争をこのような形で生涯にわたって引き受けた作家が存在し、戦争をこのような形で受苦しつづけた、作家の伴侶が存在した。この重さに改めて向き合わされた。

(『らん 76号』17.1.10)
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「茶化し」の行方――鳴戸奈菜第八句集『文様』を読む

 「俳句は茶化しの品位に於て自他を空ずるエロス、即ち自娯自作の呪文に過ぎない」……耕衣が鳴戸奈菜の第二句集『天然』の跋文で述べているこの一文を読んで以来、「茶化し」は鳴戸奈菜の俳句骨法の根幹をなすのではないかと思ってきた。諧謔とはちょっと違う。そこにはユーモラスなエロスとでも言いたいようなお茶目な奔放さがある。鳴戸奈菜が一貫してテーマとしてきた「非在世界の可視化」は、彼女のこうした言葉に対する奔放さのゆえに独自の世界を切り開くことに成功してきたと言っていい。
 鳴戸奈菜の「茶化し」は、本句集においては「只事への奇襲」に矛先を転じたように思われる。

  箱庭に大きな物は無かりけり
  昼のあと夕暮れとなり盆踊り
  首の上に顔あり薄く初化粧

 あまりにも当たり前すぎて詩のテーマには到底成り得ないと思われる事象である。しかし、彼女が定型に掬い取ると、時空に不可思議な歪みが生じる。思わず吹き出しながら、ふと現実が遠のいていくような怖さが背後から忍び寄る。

  命得てはじまる死のこと桜かな
  蟻も我も宇宙に生まれ死ぬ予定

 生死もこのようにあっけらかんと言い放たれると明るい神の審判のようではないか。「生」のいとおしさへの奈菜流の「茶化し」であろう。
 同じく耕衣文中にある「自己客観の自己」はまた、奈菜俳句の「茶化し」の長年のモチーフである。

  飼犬の昼寝の夢にわたくしか
  我かも知れぬ彼岸花見ておるは

 「私」にこだわり弄う手さばきは奈菜流「茶化し」の真骨頂かもしれない。 

  空棺が届けらる白椿の庭
  口にして寂しき言の葉紅葉す

 「非在世界の可視化」というシュールな言葉の刃は本句集でもこのように健在である。ここからさらに「茶化し」「自他を空ずるエロス」が新たなプリズムで立ち現われるのではないか。本句集はそんな予感に満ちている。

(『らん 76号』17.1.10)

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【書評】『詩の旅』(現代俳句協会刊)を読む

 鳴戸奈菜が第八句集『文様』と前後して、四冊目となる文章集『詩の旅』を刊行した。
 「第一章 俳句における間」「第二章俳句と〈火〉」は、共立女子大学発行の「文学芸術」に発表されたもので『歳時記の経験』(二〇〇五年刊)にも収められているので、ここでは「第三章 近代女性俳句の出発」(初出一九九八年、共立女子大学『研究叢書』)と「第四章 俳句月評(初出二〇一四年一月〜十二月、「東京新聞」連載)、「第五章 詩の旅」(初出一九八七年〜一九九五年「琴座」連載)についてふれておきたい。
 第三章で取り上げているのは竹下しづの女である。しづの女の「短夜や乳ぜり泣く兒を須可捨焉乎(すてつちまをか)」はいま読んでも強烈なインパクトがある。鳴戸奈菜はこの句とともに「乳啣ます事にのみ我春ぞ行く」を引き、家庭婦人ではなくて職業を持った生活者としての視点をもった女性として注目する。しづの女は自らの俳句が台所俳句として括られることに満足できない一人だった。しづの女の著作『女流作家論』の中から引用されている「各自の體験に基礎づけて創造せる自己の歳時記を自ら創制せよ」という一文は今でも十分に説得力がある。しづの女は平塚雷鳥と生年がほぼ同じ。俳句を「ホトトギス」に投稿し始めた大正八年頃には「青鞜」は廃刊となっていたが、しづの女は手にとったことがあったのではないだろうかなどと想像が刺激される。
 第四章は「東京新聞」に二〇一四年一月〜十二月まで毎月連載された「俳句月評」である。俳句界を概観しつつも、3・11、フクシマ、戦争といった厳しい現実を射程に入れた俳句観が展開されている。
 第五章は本書の中では最も古く一九八七年から一九九五年の『琴座』終刊まで連載された「詩の旅」をまとめたものだが、私は最も愉しくこの章を読んだ。鳴戸奈菜の一句鑑賞はいつも肩の力が抜けていて面白いのだが、我家のような『琴座』での連載だけに、のびやかにその本領が発揮されているように思われる。俳句は詠むより読む方が楽しくおもしろいという鳴戸奈菜の面目躍如の文章群である。

(『らん 76号』17.1.10)
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一句鑑賞「正月あそび」

   自畫像
賑やかな骨牌(カルタ)の裏面(うら)のさみしい繪
                    富澤赤黄男

 このカルタはトランプのことだろうか。骨牌と書かれることで玉突きやルーレットなども並ぶ酒場の暗がりが眼前する。自畫像という前書きはいわずもがなという気もする。鷹女は「羽子板の裏絵さびしや竹に月」「羽子板のつきくぼめたる裏絵かな」と詠んだ。同時代の先鋭な美意識の不思議な共振を思う。 

(『らん 76号』17.1.10)
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【書評】正津 勉 著『乞食路通―風狂の俳諧師』              ―「図書新聞」16.11.5号

 芭蕉の弟子、路通の生涯はほとんど不明であるという。本書はわずかに残っている資料と路通の俳句を手掛かりに、芭蕉と路通の心の通交に迫ろうとする一書である。
私が路通の名を記憶にとどめたのは、私の所属する俳句同人誌「らん」に、当時八十代だった中心メンバーの清水径子が載せた物語風の一文だった。「野ざらし」の旅の途中で芭蕉が乞食坊主、路通とバッタリ出会う。径子は「芭蕉はこの男に風雅を見た。『いちどわが庵に来なされよ』。この男が〈鳥共も寝入つてゐるか余呉の海〉のあの路通である」と綴っていく。一文の末尾は「芭蕉の愛顧にもかかわらず、蕉門人には嫌われ飄々と姿を消す。気になる人である」と結ばれていた。
 以来、路通は私にとっても気になる存在だったが、本書を読み進むにつれて、路通はくっきりとした存在として立ち現われてきた。
 路通の命名は芭蕉によるもので、奥の細道への旅では最初に同行を考えた門人であった。死の床で「なからん後路通が怠り努うらみなし。かならずしたしみ給へ」と言い置くほどの存在だった。
 それなのに、である。当代随一の知的集団とも言える芭蕉とその一門の人々が、仲間の一人である路通に対して差別としか言えないような、「いわれなき排除」を繰り返したのはなぜなのか。本書の眼目はその謎に迫ることでもある。
 おそらくその出自が影響しているのではないかと著者は推察する。
 路通の氏素性には諸説あるそうだ。「生没年? 二つ以上の姓名? 六つ以上の出生地? つまるところ生涯にわたってだが、なにしろやればやるほど迷宮入りするばかりという、よくわからない御仁なのである」と、論ずる著者がしょっぱなからお手上げ状態。「はっきりしているのは芭蕉に拾われたこと、そのとき乞食の態であったということのみ」。しかし、路傍の薦被り、路通と出会って、芭蕉は心動かされる。
 著者は後書で「素性、経歴、品行……。などなど諸点に問題があっても(略)ことその作品の評価について、まったくいかなる関係もあり得ない。そうであるはずが(略)差別として現れるのは、どういうかげんか」「そんなところに俳諧があるものか」と怒っている。
 路通は芭蕉の生前も死後もしばしば一句に芭蕉への思いをこめたと著者は看破している。 

  ぼのくぼに雁落かゝる霜夜かな  路通
  病雁の夜寒に落ちて旅寢哉    芭蕉

 たとえば、路通の芭蕉死後の右の一句は、芭蕉の名吟への時空を超えた挨拶ではないかと著者は記す。俳句を媒介とした二人の魂の会話に読者は引きずり込まれていく。
 当時の貴重な資料を、予断を交えずに丁寧に読み解き、著者と同郷、福井出身の水上勉に教えを乞い、同じく同郷の作家で俳人、多田裕計の『小説芭蕉』、明治・大正・昭和前期の英米詩壇で活躍した野口米次郎の『乞食路通』を地下水脈として援用しつつ、乞食路通の生涯に迫る。
 路通の生涯を辿りつつ、著者は「芭蕉と路通と。たとえれば両人は一枚の硬貨の裏表なのである。ほかでもない、路通は、芭蕉が生き得なかった風狂を生き貫かんとした、だからである。/しかし表なければ、むろん裏またなし。芭蕉あってこその、路通であったのだ」という感慨にいたる。
 著者は一昨年『忘れられた俳人 河東碧梧桐』も上梓されている。風狂の俳諧師や忘れられた俳人に着目するのは、彼等こそ、王道を疑いもなく歩いていく人々には見出し得ない俳句というポエジーの真髄に触れ得ていると確信するからだろう。芭蕉も乞食には成れなかった。
 帯文に爐弔乙曾媚畧篁伸瓩箸△襦つげ氏は、放浪の俳人、井上井月をモチーフにした『蒸発』で井月への共感を描いた。井月と路通には「どこかへ蒸発して流浪して生きていきたい……」そんな思いに重なり合うものがあるのかもしれない。つげ氏や著者にもまた。 
 風狂へのあこがれは、男のDNAに密かに仕組まれた、人生の突破口なのかもしれないと思った。

(作品社刊・16.8.10 四六判 248頁 本体2000円)
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