記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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如月の結婚式

 二月に結婚式に参列した。親族の結婚式としては十年以上前の従妹の結婚式以来である。夫の兄の娘、義理の姪は四十歳を少し過ぎ、地道な婚活の末に出会った二歳年下の伴侶と並んで「若く見えるでしょ」と笑っていた。ウェディングドレスがとてもよく似合っていた。
 会場は相手の実家のある長岡市で、私は去年姑から譲り受けた留袖を自分で着ることにしてホテルに持ち込んだ。秋田在住の姑は一〇一歳。元気ではあるが長岡は遠い。雪も深い。参列はむずかしいので、留袖だけでも参加させてあげようと思ったのである。
 古い留袖は比翼も胴裏もかなり黄ばんでいたが、着物教室の仲間が比翼の黄ばみが目立たないようにと金銀の刺繍入りの半襟を借してくれた。ついでに帯、帯揚げ、帯締め、扇子も持ってきてくれた。当日は金糸銀糸の重たい帯を結ぶのに苦戦したが、きれいに着つけのすんでいた花嫁の母が汗だくで手伝ってくれた。
 遠い昔、親たちがお膳立てしてくれた秋田の神社の座敷で「結婚式なんてしなくていいのに」と思いながら、鬘の重さに耐えて座っていた自分を思い出した。友人からの祝電を今でも覚えている。
「人生が美しいものであることを二人で確かめ合ってください」
 それから五十年近くが過ぎた。どうだったんだろうな、私の人生。

  留袖の松に金糸の春告鳥 燈

(『らん 81号』18.4.20)
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加計呂麻島の同窓会

 一度は行ってみたいと思っていた加計呂麻島行が実現した。島出身で一歳年下の友人が五十年ぶりに開かれる小学校の同窓会に出席するというので、便乗することになったのだ。
 加計呂麻島は島尾敏雄が特攻隊の隊長として一九四四年から終戦までの一年近く駐屯し、のちに妻となるミホと出会った場所である。二〇一七年は島尾敏雄の生誕百年にもあたる。これも何かの縁だろう。
 友人夫妻とは現地で落ち合うことになり、便乗組三人(共通の友人と我々夫婦)は、奄美空港からレンタカーで珊瑚礁の海辺をたどりつつ名瀬に着いた。私は北国生れだが、この南の島がなぜかとても懐かしく感じられる。亜熱帯の原生林の空気が細胞に浸みこむようだ。翌日は図書館の島尾敏雄記念室や図書館長をつとめた島尾さん一家のいた旧官舎を見学後、古仁屋からフェリーで加計呂麻島の生間港に上陸。夕暮迫る呑之浦で特攻挺「震洋」を隠した岬を辿り、静まり返った入江に佇んだ。
 翌朝、友人夫妻と合流して廃校となって久しい木慈小学校へ向かう。集まった男女十名は島を離れて久しい人たちばかり。ジャングルと化した校庭の片隅で担任の先生のハモニカに合せて歌う校歌に聞き入った。
 夜は古仁屋のお寿司屋さんで開かれた宴の席に潜入。三線の島唄に合わせて、みんなで島の踊りを踊った。私も前世は加計呂麻島の出身だったような懐かしい夜だった。

(『らん 80号』18.1.10)
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新井薬師の骨董市

 昨年来着物熱が高じている私を、友人が新井薬師の骨董市に誘ってくれた。彼女は奄美大島出身で、母上が大島紬の織り手でもあったことを最近知った。彼女と会うとときどき着物姿だったが、素敵とは思ってもどんな着物でどんな帯で……などということには以前はほとんど関心が向いていなかった。
 いまや、彼女がしなやかにまとっているのが、母上の手織りの大島紬であることが眩しい。猫好きの私のために猫の刺繍入りの帯を締めてきてくれると感激である。そんな彼女も新井薬師の骨董市は初めてだという。
 待合せは境内で一時半。彼女は「すてきなものを見つけておいたわよ。あなたにぴったりだと思う」といって、真ん中に青いシートを広げているおじさんの店へと引っ張っていった。おじさんはもう店じまいしかけていた。聞けば市は早朝の六時頃から開いているのだそうだ。えーそうなの。知らなかった。でもありがたいことに、彼女は一時間前に来てちゃんと見つけてくれていた。おじさんと掛け合って値引きまで交渉してくれた。そして私が手にしたのは、宮古上布と呼ばれる麻の絣の一着である。「こんな安い値段で手に入るなんて奇跡よ」と彼女のほうが興奮気味だ。私もにわか学問ながら、澤地久枝の『琉球布紀行』を読み終えたばかりだったので、その希少価値は頭に入っていた。なんだかボーッとしたまま、軽やかな絣の一着を手にたたずんでいた。
 うれしさがこみあげてきたのは、家に帰っておそるおそる自分にあてがって鏡をみてからである。小さな絣模様が愛らしい。本当に軽くて涼しくて、真夏に来たらさぞかし気持いいだろう。どんな女性が着たのかなあ。いつの時代のものだろう。いずれにしても友人のような先達がいなければ、生涯出会うことはなかったのだもの、感謝あるのみだ。
 数日後、通っている和裁教室の先生に見せたら、「うーん、宮古上布かなあ。だって本物だったら百万円以上するよねえ。サイズが小さいから安かったのかもね」とのことだった。友人が見つけてくれたこれは、私のお小遣いの範囲で買えた。しかし、真偽のほどは関係ない。大事な宮古上布を私は抱きしめた。

(『らん 78号』17.7.10)
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「『狂うひと』の哀しみ」

 梯久美子の『狂うひと』を一気に読んだ。島尾ミホの評伝ではあるが、もう一つの島尾敏雄論といってもいいだろう。特攻隊の隊長としてミホの住む加計呂麻島に着任した島尾敏雄は、ミホの「隊長さん」である以上に「小説家」だったのだ。 
 読み進むにつれて、学生時代に『死の棘』を読んだときの衝撃が昨日のことのようによみがえってきた。「あいつ」をめぐる二人の強烈なぶつかり合いに息をのみ、狂ったミホと一緒に精神病院に入院する敏雄に、私もミホのように「隊長さん」を見ていた。「私の隊長さんはどこにいってしまったのでしょうか」というミホの嘆きが、私の心にも焼きついて離れなかった。加計呂麻島は私にとって、対幻想の聖地のように思われた。
評伝では『死の棘』の起爆剤ともいうべき「あいつ」をついに探し当てる。ミホの知られざる心模様も明かされていく。膨大な資料をもとに十年を費やした丹念な作業に圧倒されるとともに、どうしようもない哀しさを禁じ得なかった。
 島尾敏雄は女たらしである。悪い奴である。そしてとてつもない作家である。ミホは自身にはからずも付与された「巫女性」を汚すことなく体現しつづけるために狂うしかなかったのだ。戦争をこのような形で生涯にわたって引き受けた作家が存在し、戦争をこのような形で受苦しつづけた、作家の伴侶が存在した。この重さに改めて向き合わされた。

(『らん 76号』17.1.10)
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