記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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リ リ

えご降るよ終の棲家のきざはしへ

虹立てば銀の鉛筆が香る

暗殺など知らぬ鳥籠さみだるる

鳥籠老いたり光る風をため

万緑や世界がリリと砕け散る

いのち甘ければ梟が吸いに来る

鳥の巣を拾いぬ迷宮はこれか


父の見し虹なり近づいてゆく
 (題詠「父」)

(『らん 78号』17.7.10)
『舟歌』以後 | permalink | comments(0) | -

【句集評】巣という迷宮――増田まさみ第五句集『遊絲』を読む

 句集をひらくと、巻頭の一句からたちまち未知の言葉宇宙が立ち上がってくる。一句一句が暗黒の宇宙空間にぽっかりと浮いた天体のように謎めいて存在している。増田まさみの句集は、いつでもそんな驚きと感動を私にもたらしてくれる。最近観た映画『メッセージ』では、未来予知能力のある言語学者が時間の流れを逆流させるかのような脳内トリップ(?)によって、異星人との意志疎通の鍵を見つけていく。
 増田まさみの俳句は遠い未来からの伝言のようでもあり、太古からの消息のようでもあり、異星人との対話のようにスリリングである。解読のきっかけをつくるのは記憶の古層に埋められている化石かもしれないが、それが実はこれからやってくる未来かもしれないという逆転を秘めている。

  かげろうや太古を奔るわが屍
  あめつちや罪か罰かと亀鳴いて
  紅梅や先祖返りの舟いでゆく

 いちおう、季語が第一のキーワードということになるだろう。「かげろう」は時空をワープする通路だ。だから太古へたちまちに降り立てるし、未来の私が屍となって走ることもありだ。
 次の句はちょっとむずかしい。実際の亀は鳴かないのに「亀鳴く」という季語自体、シュール。で、鳴かないはずの亀が「罪か罰か」と鳴いているのは、「あめつち」つまり世界の有り様自体への疑義のざわめきなんだろうな。
「紅梅」は妖しい。色も香も悩ましい。紅梅の辺りにはいつも小暗さがたちこめている。「先祖返り」は、辞書によると「生物が進化の過程で失った形質が、子孫において突然現れること」だそうだ。この舟は、お椀の舟に箸の櫂で決まり。死者に向かう旅はミクロの決死圏への出発なのだ……。
 このように読むことも許されるだろうという融通無碍な懐の深さが、増田まさみの俳句を魅力に満ちた迷宮にしている。
 迷宮と言えば、こんな句がある。

  老鶯や巣は迷宮と言い添えて   まさみ

 「老鶯」は必ずしも老いた鶯と考えなくてもいいとはいえ、世界を差配する老いた魔女のようなイメージを喚起する。この句はぜひとも隣に鷹女の、

  老鶯や泪たまれば啼きにけり   鷹女

の一句を置いて、じっくり味わいたい。鷹女の句は晩年のやるせなさがにじむ。「啼きにけり」が激しくも切ない一句だ。いっぽう、まさみの句は、「巣は迷宮」と謎めいた伝言を残して飛び去った老鶯が幻視される。からっぽな鳥の巣のふんわりと風をはらんだような軽やかさも伝わってくる。
 句集に分け入るにつれて、少しずつ謎が解けていく。

  誰も去(い)ぬ天上へ巣を返すため
  淡雪や巣藁に潜むおとうとよ
  晩秋の鳥籠のまま翔びゆけり
  鳥籠に数羽のわれや山ねむる

 なるほど、巣は森の奥に残されたわけではなかったのだ。あなたも私も使徒、老鶯に導かれて、いずれ巣という迷宮を天上へ返すために旅立つ存在だ。この迷宮は淡雪をかぶり弟を匿ってやさしい。巣という迷宮には地上ですごした時間が丹念に織り込まれているだろう。鳥籠は梢にかかる巣への憧れを秘めた哀しい、もう一つの迷宮だろう。
 さて、本句集は〈機/紊侶蝓咫勠供\罎侶蝓咫勠掘”の穴〉に章わけされ、帯文には「〈穴〉は再生のシノニムである」と記されている。

  緑陰や穴には穴を充たしけり  
  人体の穴は灯りか萩かるかや
  蝉穴も火口もさみし歯を磨く
  からっぽの柩なれかし冬北斗  

 穴は土の匂いがする。蝉穴も火口もさみしいが、口腔もさみしい穴だ。そのさみしさは命そのもののさみしさ。穴の暗がりは産道のほの暗さだ。巣は魂の入れものとなって山野を飛び、穴は地にあって命をかもす。だから柩はいつもからっぽなのだ。
 表紙画は川柳作家墨作二郎氏の手になる。また、集中には畏友六車明峰氏のまさみ句をしたためた「書」、山中ゆきよし氏の詩が収められていて、増田まさみを愛する人々の思いが伝わってくる。

(『らん 78号』17.7.10)
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百花繚らん【選評】

●稲瀬白子
白藤の我を忘れている母よ
丁寧に冗談言って苧環の花
認知症ともいう花馬酔木咲く
健忘のいとたくましき豆の花
※俳句の素晴らしさは何と言っても短さにある。多くを語らないからこそ、万感の想いが伝わってくる。「白藤」も「苧環の花」も「花馬酔木」も「豆の花」もこのように母であったことがあっただろうか。

●稲冨昭
雷鳥の落石ひゞく長き尾根
花影の石疊踏むさりながら
※「雷鳥の落石」は雷鳥が飛び立つときに崖の小石が転げ落ちたということだろうか。雪渓に木霊する落石の音が耳を離れない。二句め、「さりながら」に、「露の世は露の世ながら……」の一句が木霊のように重なる。立山や上高地の初夏のすがすがしさのあとから寂しさがやって来る。

●海上直士
菖蒲草訪ねて来たのは須佐之男か
ボクシングまねしてみせる父の病
※俳句は詩である。まずは季語や五七五と格闘してほしい。「菖蒲草」の一句は、季語が神話の主人公にリアリティを与えて愉しい。二句めにも、「父の病」が立ち上がる季語がほしい。

●桔梗たかお
芹くらき水を流してひと澄めリ
藪枯し空を摑みてから墓へ
はつなつの風や恋風躱しゆく
※一句め、「芹」の根を洗い流れる水を「くらき」ととらえ、芹が人間の穢れを身代わりになってくれたと見たと読んだ。「藪枯らし」も「初夏の風」も「ひと」の変身態として感受すると、面白い。俳句ならではのマジックである。

●柴田獨鬼
花の翳幽かな風の異界より
この国の螺旋階段夏隣
香水や壜の底より忘れ物
※異界より吹きつける「幽かな風」と「花の翳」を配した繊細さに共感した。「この国の螺旋階段」という把握も意表をついている。香水の壜の底にある忘れ物、何だろう。気になる。

●関根順子
うららかやゴディバの箱のリボン解く
「猫町」は路地奥にある冬のまち
花曇り詩人になれそうなんとなく
※「うららかや」という季語に「ゴディバの箱のリボン」はユニーク。「詩人になれそう」という感慨が「なんとなく」とはぐらかされるのも愉快。俳句ならではの奇襲をさらに。

●所薫子
飛鳥路を友と語りてスニーカー
青空にエゴノキ咲きてクマン蜂
※「飛鳥路を」の句、スニーカーのかわりに季語を工夫すれば、友との旅がくっきりと浮かび上がってくるのでは。「青空にエゴノキ咲きて」は面白い表現だが、「えごの花」という季語を使えば「咲きて」は不要。その分でさらにいろいろなことが言えそうでもある。

●丸田和子
花すぎの雨のしづけさ戻りけり
一枚のハンカチの花捨てかねて
春の夜の夫の骨壺けぶりたる
夏蝶に行きも帰りもさようなら
※俳句に詩を盛り込むことをよろこびとしている方と思う。「花すぎの雨」と「しづけさ」の取り合わせがみずみずしい。二句め、「捨てかねて」が効いている。「骨壺けぶりたる」には圧倒された。次回作が愉しみだ。

(『らん 78号』17.7.10)
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新井薬師の骨董市

 昨年来着物熱が高じている私を、友人が新井薬師の骨董市に誘ってくれた。彼女は奄美大島出身で、母上が大島紬の織り手でもあったことを最近知った。彼女と会うとときどき着物姿だったが、素敵とは思ってもどんな着物でどんな帯で……などということには以前はほとんど関心が向いていなかった。
 いまや、彼女がしなやかにまとっているのが、母上の手織りの大島紬であることが眩しい。猫好きの私のために猫の刺繍入りの帯を締めてきてくれると感激である。そんな彼女も新井薬師の骨董市は初めてだという。
 待合せは境内で一時半。彼女は「すてきなものを見つけておいたわよ。あなたにぴったりだと思う」といって、真ん中に青いシートを広げているおじさんの店へと引っ張っていった。おじさんはもう店じまいしかけていた。聞けば市は早朝の六時頃から開いているのだそうだ。えーそうなの。知らなかった。でもありがたいことに、彼女は一時間前に来てちゃんと見つけてくれていた。おじさんと掛け合って値引きまで交渉してくれた。そして私が手にしたのは、宮古上布と呼ばれる麻の絣の一着である。「こんな安い値段で手に入るなんて奇跡よ」と彼女のほうが興奮気味だ。私もにわか学問ながら、澤地久枝の『琉球布紀行』を読み終えたばかりだったので、その希少価値は頭に入っていた。なんだかボーッとしたまま、軽やかな絣の一着を手にたたずんでいた。
 うれしさがこみあげてきたのは、家に帰っておそるおそる自分にあてがって鏡をみてからである。小さな絣模様が愛らしい。本当に軽くて涼しくて、真夏に来たらさぞかし気持いいだろう。どんな女性が着たのかなあ。いつの時代のものだろう。いずれにしても友人のような先達がいなければ、生涯出会うことはなかったのだもの、感謝あるのみだ。
 数日後、通っている和裁教室の先生に見せたら、「うーん、宮古上布かなあ。だって本物だったら百万円以上するよねえ。サイズが小さいから安かったのかもね」とのことだった。友人が見つけてくれたこれは、私のお小遣いの範囲で買えた。しかし、真偽のほどは関係ない。大事な宮古上布を私は抱きしめた。

(『らん 78号』17.7.10)
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雨の樹のほうへ 40

目の見えぬ魚がみひらきゐる晩春 (『鶸』)

 前回は径子の句にある「芍薬忌」は多佳子の忌日ではないかと書いたが、多佳子との天狼を通じての縁とは別に、径子は鷹女の句に惹かれていたのではないかと思う。鷹女の句の感覚的な把握や美意識の肉体化は、径子が俳句で目指さんとする知の抒情化を触発しかきたてるものだったにちがいない。
『白骨』は鷹女の第三句集である。径子逝去の翌二〇〇六年、「らん」三二号で追悼特集を組んだとき、その冒頭に「氷海」の昭和二八年六月号に掲載された、径子の『白骨』評を再録した。「『女のかなしさ』などー『白骨』を読みて」と題されたこの一文は、鷹女に宛てた手紙のスタイルで鷹女から『白骨』を贈られたことへの謝辞から書き始められている。『白骨』は昭和二七年三月に発行されている。
 実は昭和二七年に鷹女から径子に贈られた『白骨』は、径子の遺品の一冊としていま私の手元にある。中扉には、鷹女の自筆で「ねこやなぎ女の一生野火のごと」と記されている。やさしい墨跡は、句の激しさとはうらはらなたおやかさだ。
 径子は集中の「うちかけを被て冬の蛾は飛べませぬ」「馬ほどの蟋蟀となり鳴きつのる」「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」などをはじめとした様々な句を挙げて、鷹女に「先生は遂に、その高いロマン主義を基調とした抒情を、知性的な把握によつて昇華させる、そういふ足跡をお残しなさつた方だと私は思ひます」と熱く語りかける。
 さらに「先生はたへず自己と自然の中に青春を見てゐられるといふことを深く深く感じたのでござゐます」と述べ、「私の内に湧いた勇気とよろこびの一端をお伝へ出来ればうれしうございます」としめくくる。
 径子の第一句集『鶸』には昭和四七年までの句が収められている。俳句を発表しはじめた昭和二十年代後半から四十年までの二十年間の句は厳選されて全体の一割、約六十句強にとどまっているが、出発点の径子の句には、鷹女の句から与えられた勇気に背中を押されたとでもいうべき作品が多いのではないだろうか。
 掲句はそのうちの一句で、径子の自画像だろう。魚は見えぬ目をみひらき、晩春の只中で夏の気配を察知する。自己と自然の中に「青春」を見ているのだ。

  雪積んで一丁の斧しづまれり
  寒卵撫でてやるその一つ割る
  地虫鳴く目の中くらくあたたかし

などの斬新な切り口は、以後の径子の作品の推進力となっていく。俳句の短さは二人にとって、ともすれば過剰に反応してしまう自らの詩魂をせきとめるかっこうの器であったのかもしれない。

(『らん 78号』17.7.10)
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【書評】三宅やよい 著『鷹女への旅』                     ―「図書新聞」17.6.24号

 三橋鷹女は俳句の世界で近づきがたい孤峰のようにそびえたっている。第四句集『羊歯地獄』の自序の一文、「俳句を書くことは、一片の鱗の剥脱である」という厳しい独白は、あまりにも有名である。その作品の圧倒的な存在感の前に佇むばかりであったが、あるとき勤め先の二回りも齢のちがう同僚が「鷹女の句が大好きで図書館で全部ノートに書き写したんですよ」と話してくれてびっくりした。私の大好きな「ひるがほに電流かよひゐはせぬか」「月見草はらりと地球うらがへる」「炎天を泣きぬれてゆく蟻のあり」「絶壁に月を捕へし補虫網」などは、同僚の愛唱句でもあった。鷹女の俳句はとっくに俳句の世界を飛び出して広く深く愛されていたのだ。
 本書は鷹女を愛する人々に、ぜひ繙いてもらいたい貴重な一冊である。著者が現在副代表をつとめる「船団」に、二〇〇五〜二〇〇八年まで一五回にわたって連載したものがもとになっている。著者が夫君の転勤に伴って関西から東京に転居したときに、「船団」代表の坪内稔典氏から鷹女について調べて書いてみないかと提案されたのがきっかけだったそうだ。
 著者は鷹女の俳句に導かれるように、鷹女の生まれた成田に足を運んで貴重な資料に当り、面識のあった人々に取材し、ともに暮らした息子陽一氏と妻の絢子さんから話を聞きながら、鷹女の俳句人生の変遷を丹念に追いかけていく。実は私も吉祥寺に二十年以上暮らしていた。しかし、長く鷹女の俳句に傾倒してきたのに、その住まいのあとなりを訪ねてみようとすら思わなかった。著者の鷹女への思いの深さとその果敢さに改めて感じ入りつつ、鷹女のさまざまな人生の局面と俳句とのかかわりを新鮮な気持ちで読み進めた。
 「成田時代」を読み、成田は私が思っていた以上に鷹女にとって大きい位置を占めていると感じた。産土の時空からどのように詩を汲み上げ、俳句に凝縮させていくかは多くの俳人にとって永遠の課題であるが、鷹女の詩の淵源のひとつは、女学校の裏山、不動ヶ丘周辺だった。裏山の小暗い木下道は地下水脈となって以後の鷹女の俳句を支えていったのだ。
 鷹女が昭和十五年に第一句集『向日葵』上梓以後、高柳重信の招請を受けて昭和二十八年に「薔薇」に同人参加するまで、結社に属さずに俳句を書き続けてきたことは、当時としては稀有のことだったのではないかと思ってきた。俳句書く人間が結社に属さず、自らの作品を世に問うていくことは並大抵のことではないだろう。しかし鷹女は孤独な作業を続けていたわけではなかった。本書によって、昭和二十二年頃から職場句会「ゆさはり句会」を指導していたことが大きな比重を占めていたことを知った。「この句会の指導と付き合いは長らく鷹女の生活の一部だった。鷹女のここでの在り方から今まで見えていなかった鷹女の別な側面が見えてくる」と著者は記す。鷹女は俳壇とはあまり交流のない孤高の作家ではあったかもしれないが、「この(ゆさはり句会―引用者注)交友は長らく続く。この時期の鷹女は一人ではなかった」のだ。
 ゆさはり句会に出した句は昭和二十七年発行の第三句集『白骨』にも多く収録されている。著者は「天が下に風船売りとなりにけり」を挙げ、「(折笠美秋とともにー引用者注)高柳重信もこの句を『昔ながらの鷹女の機智が、次第に深まりを見せながら正確に捉えた不思議な寂しさである』と評価している。『俳句評論』の切れ者たちがそろって評価するこの句が『ゆさはり句会』の兼題から作られたこと。俳壇とはまったく無縁の会社の一サークルの集まりで作られたことに私は嬉しささえ覚えるのだ」と述べている。高名な「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」もここから生まれたことを知り、私もうれしくなってしまった。
 戦前はモダニズム詩や新興俳句、戦後は赤黄男や重信など「薔薇」同人たちの作品の影響を受けつつ、時代の空気を敏感に察知して自身の鋭い言語感覚を深化させていった鷹女の俳句は、実は著者、三宅やよいの俳句表現にも通底するものがあるのではないだろうか。自分とひたすら向き合う孤独な営為と、親しい仲間との交流の中で喚起される情感とが織りなすタペストリーが俳句という詩であることを著者は鷹女への旅によって、再確認していったのにちがいない。本書のあとがきには「鷹女が旅の最後にたどり着いた不思議な静けさに満ちた言葉の地平をもう少し掘り下げられるのではないか。と最近考えはじめました」と記されている。著者の鷹女への旅はさらにつづく。

 

(創風社出版刊・17.4.7 四六判 208頁 本体2000円)

 

 

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わたくし

南天の実が大好きだった小鳥のとき

わたくしが倒れ伏したる雪野原

忘れ雪わたくしを待つ円盤あり

路地路地に囀りみちる歌舞伎町

針供養ふしぎな行列を見たり

エウロパの夜はふくいくと紙雛

琉球弧友が明滅していたり


風の便りと壁に刻みて死んだふり
(らん詠・テーマ「風」)

(『らん 77号』17.4.10)
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一句鑑賞「菜の花」

余生とは菜の花に手の届くなり
         中尾壽美子

 余生や晩年、老いという言葉を俳句に持ち込むのはあまり好きではないが、掲句によっていかなる言葉も詩に昇華できることを教えられる。こう書かれると、菜の花はある年代にさしかからないと手にすることのできないはるかな彼岸に灯るあかりのように思われてくる。さまざまな植物を身辺に引き寄せて壽美子は変身を重ねていった。「はればれと水のむ吾れは芹の類」「充分に老いて蓬に変身す」「長生やある時間以後揚羽蝶」…老いていく時間のかくもみずみずしいことに驚くばかり。


(『らん 77号』17.4.10)
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漣すぎるものたちへの挽歌                 ――岡田一実第一句集『小鳥』を読む

 岡田一実さんは七一号(二〇一五年十月発行)かららんの同人に加わってくださった。前年に現代俳句協会新人賞を受賞されている。二〇一〇年には第三回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞を受賞され、その言語感覚の鋭さ、深さが注目された。らん誌でものっけから「男娼と見てゐる菊の豪華かな」「煩悩や地平に月の暮れまどひ」などの作品とともに登場し、私たちを驚かせた。骨太の句があるかと思うと、「うそ寒や首に紐ある抱き心地」「毛衣の雨にあたりて濃く匂ふ」など繊細で濃密な句あり、「キリストは磔刑にして腋涼し」「川に泳げば汝は天啓を受けし蛇」と、モチーフも多彩である。ネットのスピカで「図書館コラージュ」というユニークな俳句創作の試みもされていて瞠目した。一読をおすすめしたい。
 第一句集『小鳥』は二〇一〇年までの作品、第二句集『境界 ‐border‐』は二〇一一年〜一四年までの作品が収められている。らん句友のもとには昨年末に二冊一緒に送っていただいた。第一句集は発行当時四十部足らずだった私家版を第二句集を編むにあたって復刻したものだそうだ。私たちがいま手にしているのはその二刷版である。らん七六号に寄せられた略歴によると俳句をはじめたのは十年前で、きっかけは「十年前に愛犬が他界したこと」と書かれている。
 出立のころの岡田一実の俳句には、すでに今日の彼女がいる。まずは巻頭の一句。

  木よ人よ漣(さざなみ)すぎるものたちよ

「漣すぎるものたち」とはいのちの気配のようなものだろうか。早春のまだ冷たく澄んだ空気が、静かにゆっくりと波紋を拡げていくのが見えてくる。

  あちらから見し芽柳の内側へ
  駈け上がれば水仙肺に痛きかな
  まづ光のびて生まるるしやぼん玉

「あちら」からこちら側へ、「芽柳の内側へ」、いのちの不思議へ潜入していくために俳句はあるのに違いない。「駈け上が」る若いいのちが、あちら側と呼応する。「水仙」も「しやぼん玉」も光を帯びて輝いている。
 光を帯びて震えているものの前に立ちどまる。たちどまるだけでなく、「開いてみる」のが作者だ。

  壺焼の網こんこんと震へけり
  猫柳開いてみるために一つ
  五月雨や尻尾から震はせてゆく
  傘振つて雨粒は万緑の粒

「尻尾から震はせてゆく」のは、愛犬だろうか。雨粒をたたえた傘も尻尾を持つ動物のようにいのちの震えを帯びて万緑を映している。
 岡田さんは生死も宇宙もやすやすと掬い取って自らに引き寄せる。

  火星めく果実のやはらかく冷ゆる
  網の目にさらはれてゆく銀河かな
  囮ある言葉に小鳥ここへ来よ

「火星」と手のひらの「果実」に通路が生まれる。「網の目」の句では私の想念は一つの「銀河」に凝っている。暗い宇宙をさらわれていくのは私なのだ。次の一句はややむずかしいが、私が「囮」を仕掛けた言葉の森へ小鳥を呼び込んでいると解してみた。小鳥の生死を自らの言葉の森の囮に拮抗させているのだ。
 掉尾の一句は、

  夜をゆく夜の中より光の戸

「光の戸」が見えてくる。近づいていくのが怖い。しかし一歩一歩近づいていく。それが俳句なのだというように。
 本句集の局瑤砲蓮短句七七が収められている。歌仙を巻いたときの収穫なのだろうか。あるいは七七という詩型に挑戦してみたのかはわからないが、これも面白かった。

  春の水なら垂直にあり
  弾けたるものすべて風船
  チューリップをも切符としたり

有無を言わさず世界を切り取っていく断定の小気味よさ。しかし、繊細な手さばきものぞく。「七七という器もありだな」と納得させられる。

  ここは夕凪だれも呼ばずに
  火蛾と私つねに火のそば

しずかな充足の入り江に実は激しさが潜んでいることに気づかされる。

  小鳥遥かに星をたのしむ

小鳥は言葉との永遠の随伴を愉しんでいるようだ。


(『らん 77号』17.4.10)
 
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雨の樹のほうへ 39

俤のまた吹きすさぶ芍薬忌 (『雨の樹』)

 私自身は忌日季語を織り込んだ俳句をつくったことあまりないが、忌日が季語として歳時記に取り込まれたのはいつごろからなのだろうか。島田牙城氏は「週刊俳句」(2013.12.1)に寄せた「『忌』とは何か」で、忌日が季語として定着していったのは、子規の死後、虚子らその仲間たちが毎年、命日に子規を偲ぶ句を詠みつぎ「子規忌」という季語が生まれたことが発端ではないかと述べている。当初は直接面識のある敬愛する人の忌日で句を詠むことだっただろうが、それはやがて芭蕉忌や鬼貫忌、太宰忌のように、過去の文学者を偲ぶよすがとして句に取り込まれるようになっていったのだろう。芭蕉忌を時雨忌、太宰忌を桜桃忌というように、別名を持つ忌日もある。亡くなった季節の季語が付与されたネーミングは、色濃くその日を印象づける。
 「忌」という言葉を俳句でどう生かすかだが、あらかじめ歳時記に収められた忌日季語とは別に、自身の俳句の中でどうしても詠みたい死者、あるいは出来事を自身で悼み、また思い返し、再び思いを新たにする縁として忌を創造すればいいのはないだろうか。
 そのいい例が掲句ではないかと思う。「芍薬忌」は歳時記には載っていない。実は他日、月犬氏から掲句の「芍薬忌」は誰の句か知っているかと聞かれて口ごもってしまった。そのときまで漠然と「芍薬」という花自身の忌と思っていたのだ。しかし俤である。芍薬である。これは、径子に縁のある美しい女性の忌にちがいない。
 思い当たる俳人の忌日を調べてみた。中尾壽美子が亡くなったのは一〇月だから対象外。三橋鷹女の命日は四月七日、多佳子の命日は五月二九日。季語の芍薬は初夏に分類されているが、四月では早すぎる。華やかなイメージからも多佳子にちがいない。多佳子は不死男や三鬼ともに誓子の「天狼」を支えた中心メンバーである。径子は昭和二四年、姉、阿喜の夫である不死男の「氷海」創刊を契機に俳句を始める。全句集の自筆年譜によれば、昭和二六年の項に「名古屋の『天狼』三周年記念大会に出席。会場で加藤かけい先生、帰りの車中で永田耕衣、西東三鬼の両先生と同席したのも何かの機縁であろう。同夜、橋本多佳子先生邸に一泊、橋本美代子さん、津田清子さんを交えての歓談忘れ難い」と記されている。昭和二六年、径子四十歳、多佳子五二歳。「また吹きすさぶ」に出会いと歳月への哀惜がにじむ。

(『らん 77号』17.4.10) 
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