記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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わたくし

南天の実が大好きだった小鳥のとき

わたくしが倒れ伏したる雪野原

忘れ雪わたくしを待つ円盤あり

路地路地に囀りみちる歌舞伎町

針供養ふしぎな行列を見たり

エウロパの夜はふくいくと紙雛

琉球弧友が明滅していたり


風の便りと壁に刻みて死んだふり
(らん詠・テーマ「風」)

(『らん 77号』17.4.10)
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一句鑑賞「菜の花」

余生とは菜の花に手の届くなり
         中尾壽美子

 余生や晩年、老いという言葉を俳句に持ち込むのはあまり好きではないが、掲句によっていかなる言葉も詩に昇華できることを教えられる。こう書かれると、菜の花はある年代にさしかからないと手にすることのできないはるかな彼岸に灯るあかりのように思われてくる。さまざまな植物を身辺に引き寄せて壽美子は変身を重ねていった。「はればれと水のむ吾れは芹の類」「充分に老いて蓬に変身す」「長生やある時間以後揚羽蝶」…老いていく時間のかくもみずみずしいことに驚くばかり。


(『らん 77号』17.4.10)
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漣すぎるものたちへの挽歌                 ――岡田一実第一句集『小鳥』を読む

 岡田一実さんは七一号(二〇一五年十月発行)かららんの同人に加わってくださった。前年に現代俳句協会新人賞を受賞されている。二〇一〇年には第三回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞を受賞され、その言語感覚の鋭さ、深さが注目された。らん誌でものっけから「男娼と見てゐる菊の豪華かな」「煩悩や地平に月の暮れまどひ」などの作品とともに登場し、私たちを驚かせた。骨太の句があるかと思うと、「うそ寒や首に紐ある抱き心地」「毛衣の雨にあたりて濃く匂ふ」など繊細で濃密な句あり、「キリストは磔刑にして腋涼し」「川に泳げば汝は天啓を受けし蛇」と、モチーフも多彩である。ネットのスピカで「図書館コラージュ」というユニークな俳句創作の試みもされていて瞠目した。一読をおすすめしたい。
 第一句集『小鳥』は二〇一〇年までの作品、第二句集『境界 ‐border‐』は二〇一一年〜一四年までの作品が収められている。らん句友のもとには昨年末に二冊一緒に送っていただいた。第一句集は発行当時四十部足らずだった私家版を第二句集を編むにあたって復刻したものだそうだ。私たちがいま手にしているのはその二刷版である。らん七六号に寄せられた略歴によると俳句をはじめたのは十年前で、きっかけは「十年前に愛犬が他界したこと」と書かれている。
 出立のころの岡田一実の俳句には、すでに今日の彼女がいる。まずは巻頭の一句。

  木よ人よ漣(さざなみ)すぎるものたちよ

「漣すぎるものたち」とはいのちの気配のようなものだろうか。早春のまだ冷たく澄んだ空気が、静かにゆっくりと波紋を拡げていくのが見えてくる。

  あちらから見し芽柳の内側へ
  駈け上がれば水仙肺に痛きかな
  まづ光のびて生まるるしやぼん玉

「あちら」からこちら側へ、「芽柳の内側へ」、いのちの不思議へ潜入していくために俳句はあるのに違いない。「駈け上が」る若いいのちが、あちら側と呼応する。「水仙」も「しやぼん玉」も光を帯びて輝いている。
 光を帯びて震えているものの前に立ちどまる。たちどまるだけでなく、「開いてみる」のが作者だ。

  壺焼の網こんこんと震へけり
  猫柳開いてみるために一つ
  五月雨や尻尾から震はせてゆく
  傘振つて雨粒は万緑の粒

「尻尾から震はせてゆく」のは、愛犬だろうか。雨粒をたたえた傘も尻尾を持つ動物のようにいのちの震えを帯びて万緑を映している。
 岡田さんは生死も宇宙もやすやすと掬い取って自らに引き寄せる。

  火星めく果実のやはらかく冷ゆる
  網の目にさらはれてゆく銀河かな
  囮ある言葉に小鳥ここへ来よ

「火星」と手のひらの「果実」に通路が生まれる。「網の目」の句では私の想念は一つの「銀河」に凝っている。暗い宇宙をさらわれていくのは私なのだ。次の一句はややむずかしいが、私が「囮」を仕掛けた言葉の森へ小鳥を呼び込んでいると解してみた。小鳥の生死を自らの言葉の森の囮に拮抗させているのだ。
 掉尾の一句は、

  夜をゆく夜の中より光の戸

「光の戸」が見えてくる。近づいていくのが怖い。しかし一歩一歩近づいていく。それが俳句なのだというように。
 本句集の局瑤砲蓮短句七七が収められている。歌仙を巻いたときの収穫なのだろうか。あるいは七七という詩型に挑戦してみたのかはわからないが、これも面白かった。

  春の水なら垂直にあり
  弾けたるものすべて風船
  チューリップをも切符としたり

有無を言わさず世界を切り取っていく断定の小気味よさ。しかし、繊細な手さばきものぞく。「七七という器もありだな」と納得させられる。

  ここは夕凪だれも呼ばずに
  火蛾と私つねに火のそば

しずかな充足の入り江に実は激しさが潜んでいることに気づかされる。

  小鳥遥かに星をたのしむ

小鳥は言葉との永遠の随伴を愉しんでいるようだ。


(『らん 77号』17.4.10)
 
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雨の樹のほうへ 39

俤のまた吹きすさぶ芍薬忌 (『雨の樹』)

 私自身は忌日季語を織り込んだ俳句をつくったことあまりないが、忌日が季語として歳時記に取り込まれたのはいつごろからなのだろうか。島田牙城氏は「週刊俳句」(2013.12.1)に寄せた「『忌』とは何か」で、忌日が季語として定着していったのは、子規の死後、虚子らその仲間たちが毎年、命日に子規を偲ぶ句を詠みつぎ「子規忌」という季語が生まれたことが発端ではないかと述べている。当初は直接面識のある敬愛する人の忌日で句を詠むことだっただろうが、それはやがて芭蕉忌や鬼貫忌、太宰忌のように、過去の文学者を偲ぶよすがとして句に取り込まれるようになっていったのだろう。芭蕉忌を時雨忌、太宰忌を桜桃忌というように、別名を持つ忌日もある。亡くなった季節の季語が付与されたネーミングは、色濃くその日を印象づける。
 「忌」という言葉を俳句でどう生かすかだが、あらかじめ歳時記に収められた忌日季語とは別に、自身の俳句の中でどうしても詠みたい死者、あるいは出来事を自身で悼み、また思い返し、再び思いを新たにする縁として忌を創造すればいいのはないだろうか。
 そのいい例が掲句ではないかと思う。「芍薬忌」は歳時記には載っていない。実は他日、月犬氏から掲句の「芍薬忌」は誰の句か知っているかと聞かれて口ごもってしまった。そのときまで漠然と「芍薬」という花自身の忌と思っていたのだ。しかし俤である。芍薬である。これは、径子に縁のある美しい女性の忌にちがいない。
 思い当たる俳人の忌日を調べてみた。中尾壽美子が亡くなったのは一〇月だから対象外。三橋鷹女の命日は四月七日、多佳子の命日は五月二九日。季語の芍薬は初夏に分類されているが、四月では早すぎる。華やかなイメージからも多佳子にちがいない。多佳子は不死男や三鬼ともに誓子の「天狼」を支えた中心メンバーである。径子は昭和二四年、姉、阿喜の夫である不死男の「氷海」創刊を契機に俳句を始める。全句集の自筆年譜によれば、昭和二六年の項に「名古屋の『天狼』三周年記念大会に出席。会場で加藤かけい先生、帰りの車中で永田耕衣、西東三鬼の両先生と同席したのも何かの機縁であろう。同夜、橋本多佳子先生邸に一泊、橋本美代子さん、津田清子さんを交えての歓談忘れ難い」と記されている。昭和二六年、径子四十歳、多佳子五二歳。「また吹きすさぶ」に出会いと歳月への哀惜がにじむ。

(『らん 77号』17.4.10) 
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伝言〜短歌もどきの試験管をゆさぶって〜

あの人も歌びとくいと尖るあご黄金の髪はベールに隠し
息を殺して虫しぐれの谷へ

屠らるる牛の眸をひたと見しのちゆっくりと立ち去りしとぞ
生きたしよ秋草食みて蜜吸うて

透けていく摩天楼なり夕暮はひかりの箱がゆっくり昇る
衣縫うており天空の芒原

王族の血をたぎらせて浜木綿となるゆえひとり誰をも待たず
秋はゆくゆく血脈の重たさを

雪の朝へ生まれてみたが山鳩があまりにやさしく啼くから長居
アラベスク模様をたどり産声へ

病める葦も折らずといえど深く病むその暗がりを神は知らざり
憂鬱なアンドロメダは飲みほさん

月光に襟も袂も濡れそぼちあまたの母が解読を待つ
秋蝶に噛まれし指の先は雨

忘れてはいないはずだが面影はサラサラ零れ落ちて晩年
たましいがちぎれ海月か水母か

大いなる器に秋の水くめばしたしたしたと地へ染みていく
黄昏の奥にたたまれゆく家族

きらきらと少女ら憩う中庭の噴水はややはにかみており
はずんでゆがんでころがって地の果て

おみならはみなみずうみをひとつもちときにゆらしてさざなみたてたり
歩くかな夕焼の空の暗むまで

少年は権力を無化したかりきたった一人の少女のために
ワタシウマレタヨキョウユキガヤンダヨ

『パルチザン伝説』を夜ごと読む日々よ汝の柩の窓を思いて
アンデスのリャマの毛糸は炎いろ

晩秋のカルチェラタンを下りゆく焚火のあとはまだ焦げ臭き
闇市の茜のつららほころびぬ

のえらいてういちこやすこやきびきびと織り機は午後のシャトル飛ばしぬ
冬深し絹の着物という伝言

サラサラと乾いた砂に胡椒振り封筒に詰めて礫としたりと
逝く朝の皿に残りし焼き鰈

蛸壺からの連帯という葉書くる蛸壺ゆらす潮を思えり
新聞紙にくるまれぬくき寒玉子


恩寵か罠か雪崩るる冬銀河  (らん詠・テーマ「壊」)  

(『らん 76号』17.1.10)

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「『狂うひと』の哀しみ」

 梯久美子の『狂うひと』を一気に読んだ。島尾ミホの評伝ではあるが、もう一つの島尾敏雄論といってもいいだろう。特攻隊の隊長としてミホの住む加計呂麻島に着任した島尾敏雄は、ミホの「隊長さん」である以上に「小説家」だったのだ。 
 読み進むにつれて、学生時代に『死の棘』を読んだときの衝撃が昨日のことのようによみがえってきた。「あいつ」をめぐる二人の強烈なぶつかり合いに息をのみ、狂ったミホと一緒に精神病院に入院する敏雄に、私もミホのように「隊長さん」を見ていた。「私の隊長さんはどこにいってしまったのでしょうか」というミホの嘆きが、私の心にも焼きついて離れなかった。加計呂麻島は私にとって、対幻想の聖地のように思われた。
評伝では『死の棘』の起爆剤ともいうべき「あいつ」をついに探し当てる。ミホの知られざる心模様も明かされていく。膨大な資料をもとに十年を費やした丹念な作業に圧倒されるとともに、どうしようもない哀しさを禁じ得なかった。
 島尾敏雄は女たらしである。悪い奴である。そしてとてつもない作家である。ミホは自身にはからずも付与された「巫女性」を汚すことなく体現しつづけるために狂うしかなかったのだ。戦争をこのような形で生涯にわたって引き受けた作家が存在し、戦争をこのような形で受苦しつづけた、作家の伴侶が存在した。この重さに改めて向き合わされた。

(『らん 76号』17.1.10)
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「茶化し」の行方――鳴戸奈菜第八句集『文様』を読む

 「俳句は茶化しの品位に於て自他を空ずるエロス、即ち自娯自作の呪文に過ぎない」……耕衣が鳴戸奈菜の第二句集『天然』の跋文で述べているこの一文を読んで以来、「茶化し」は鳴戸奈菜の俳句骨法の根幹をなすのではないかと思ってきた。諧謔とはちょっと違う。そこにはユーモラスなエロスとでも言いたいようなお茶目な奔放さがある。鳴戸奈菜が一貫してテーマとしてきた「非在世界の可視化」は、彼女のこうした言葉に対する奔放さのゆえに独自の世界を切り開くことに成功してきたと言っていい。
 鳴戸奈菜の「茶化し」は、本句集においては「只事への奇襲」に矛先を転じたように思われる。

  箱庭に大きな物は無かりけり
  昼のあと夕暮れとなり盆踊り
  首の上に顔あり薄く初化粧

 あまりにも当たり前すぎて詩のテーマには到底成り得ないと思われる事象である。しかし、彼女が定型に掬い取ると、時空に不可思議な歪みが生じる。思わず吹き出しながら、ふと現実が遠のいていくような怖さが背後から忍び寄る。

  命得てはじまる死のこと桜かな
  蟻も我も宇宙に生まれ死ぬ予定

 生死もこのようにあっけらかんと言い放たれると明るい神の審判のようではないか。「生」のいとおしさへの奈菜流の「茶化し」であろう。
 同じく耕衣文中にある「自己客観の自己」はまた、奈菜俳句の「茶化し」の長年のモチーフである。

  飼犬の昼寝の夢にわたくしか
  我かも知れぬ彼岸花見ておるは

 「私」にこだわり弄う手さばきは奈菜流「茶化し」の真骨頂かもしれない。 

  空棺が届けらる白椿の庭
  口にして寂しき言の葉紅葉す

 「非在世界の可視化」というシュールな言葉の刃は本句集でもこのように健在である。ここからさらに「茶化し」「自他を空ずるエロス」が新たなプリズムで立ち現われるのではないか。本句集はそんな予感に満ちている。

(『らん 76号』17.1.10)

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【書評】『詩の旅』(現代俳句協会刊)を読む

 鳴戸奈菜が第八句集『文様』と前後して、四冊目となる文章集『詩の旅』を刊行した。
 「第一章 俳句における間」「第二章俳句と〈火〉」は、共立女子大学発行の「文学芸術」に発表されたもので『歳時記の経験』(二〇〇五年刊)にも収められているので、ここでは「第三章 近代女性俳句の出発」(初出一九九八年、共立女子大学『研究叢書』)と「第四章 俳句月評(初出二〇一四年一月〜十二月、「東京新聞」連載)、「第五章 詩の旅」(初出一九八七年〜一九九五年「琴座」連載)についてふれておきたい。
 第三章で取り上げているのは竹下しづの女である。しづの女の「短夜や乳ぜり泣く兒を須可捨焉乎(すてつちまをか)」はいま読んでも強烈なインパクトがある。鳴戸奈菜はこの句とともに「乳啣ます事にのみ我春ぞ行く」を引き、家庭婦人ではなくて職業を持った生活者としての視点をもった女性として注目する。しづの女は自らの俳句が台所俳句として括られることに満足できない一人だった。しづの女の著作『女流作家論』の中から引用されている「各自の體験に基礎づけて創造せる自己の歳時記を自ら創制せよ」という一文は今でも十分に説得力がある。しづの女は平塚雷鳥と生年がほぼ同じ。俳句を「ホトトギス」に投稿し始めた大正八年頃には「青鞜」は廃刊となっていたが、しづの女は手にとったことがあったのではないだろうかなどと想像が刺激される。
 第四章は「東京新聞」に二〇一四年一月〜十二月まで毎月連載された「俳句月評」である。俳句界を概観しつつも、3・11、フクシマ、戦争といった厳しい現実を射程に入れた俳句観が展開されている。
 第五章は本書の中では最も古く一九八七年から一九九五年の『琴座』終刊まで連載された「詩の旅」をまとめたものだが、私は最も愉しくこの章を読んだ。鳴戸奈菜の一句鑑賞はいつも肩の力が抜けていて面白いのだが、我家のような『琴座』での連載だけに、のびやかにその本領が発揮されているように思われる。俳句は詠むより読む方が楽しくおもしろいという鳴戸奈菜の面目躍如の文章群である。

(『らん 76号』17.1.10)
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一句鑑賞「正月あそび」

   自畫像
賑やかな骨牌(カルタ)の裏面(うら)のさみしい繪
                    富澤赤黄男

 このカルタはトランプのことだろうか。骨牌と書かれることで玉突きやルーレットなども並ぶ酒場の暗がりが眼前する。自畫像という前書きはいわずもがなという気もする。鷹女は「羽子板の裏絵さびしや竹に月」「羽子板のつきくぼめたる裏絵かな」と詠んだ。同時代の先鋭な美意識の不思議な共振を思う。 

(『らん 76号』17.1.10)
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雨の樹のほうへ 38

最鳥渡る衣縫ふ鳥も居りぬべし (『夢殻』)

 昨年の一月から四ヵ月間、吉祥寺の着付け教室に通った。着物はほとんど持っていないし、母も着物を着る人ではなかったのだが、私はずっと着物に心惹かれてきた。まとうと全身がすっぽり覆われてはっとするような変化が起こる。襟の重なり具合、帯と帯揚げや帯締めの色の響き合い……改まった席に着ていく余所行きではなく、日常的に普段着として着物暮らしをしてみたかった。四ヵ月後、やっと怖がらずに着物や帯にさわれるようになった。それだけでもうれしい。着付け教室へと背中を押してくれた友人が亡くなったお母さんの残した着物や帯を、会社の後輩は亡くなった伯母さんの着物を体型が似ているからとプレゼントしてくれた。着付けを始めたと報告したら、田舎の叔母からも着てくれたらうれしいと着物と帯が送られてきた。はるかな母系が滔々と押し寄せてきて、さわさわと私を包むようだ。
 径子の俳句に着物にまつわるものはあるだろうかと句集を繰っていて改めて出会い直したのが、七四号の本欄で取り上げた「淋しき鳥春着一枚干しにけり」(『哀湖』)である。そのときは「春着」を漠然と春に着る服と思い込んでいたのだが、ふと歳時記を引いてみて驚いた。「春着」は新年の季語で「正月に着る晴れ着のこと」とあるではないか(私が思っていた春の服は「春服」という季語として控えていた)。例句もたっぷり並んでいる。晴れがましい句やほほえましい句が並ぶのに引きかえ、径子の春着のなんというはるけさ。春着は径子の全身を包み込んで新年の無聊を一日覆い隠してくれた。帰りついて脱いだ着物を吊り下げて風を通す。
 そのとき、何もかも脱ぎ捨ててすっかり軽くなった身体は、もはや一羽の鳥のようだ。
 この「淋しき鳥」は、径子の自画像としてさまざまな変奏曲を奏でていった。掲句の「衣縫ふ鳥」を書いたとき、径子の膝の上にはいつまでも縫い上がらない幻想の絹の袷が広げられていたのではないだろうか。
 皮切りは第一句集『鶸』に登場する「寒凪やはるかな鳥のやうにひとり」だったかもしれない。それは「淋しき鳥」を経て、『夢殻』所収の、掲句や「板の間を飛べない鳥としてきさらぎ」「春深し鳥のそら音をわれはしぬ」へとリレーされていった。
 着物を着たり脱いだりしていると、私も淋しい鳥の末裔のように思われてくる。遅まきの着物との出会いが径子との距離を近づけてくれた。


(『らん 76号』17.1.10)
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