記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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雨の樹のほうへ 30

噴水のあたり父とはいかな味     (『夢殻』)

 昨年十月に義父が九十九歳でなくなった。百歳の誕生日のちょうど一ヵ月前だった。義父の生れた秋田市郊外の旧雄和町女米木は、石井露月が医業のかたわら、村の青年たちに俳句を手ほどきしていた村でもある。義父は少年のころ、露月の句会の様子を垣間見たことがあったそうだ。俳号を残花といい、若いころは俳句をつくっていたらしい。雑事にまぎれて義父の俳句をたずねることもなく歳月がすぎた。「冬囲すむと便りや訪ねたき」の一句を知るのみであることが悔やまれる。義父は警察官だったが、書画骨董を愛し、露月の色紙を季節ごとに掛け替えて楽しむ洒脱な人だった。
 径子は六歳のときに父を亡くした。享年四十。径子自筆年譜には「父は浄土宗の信仰厚く、出棺供養の『百羽の放鳥』は今も心に残る。わが抒情の原点はここにある思い」と記されている。掲句はそんなはるかな父を恋う一句である。翌年、母も三六歳で亡くなってしまう。秋元不死男は第一句集『鶸』の序において径子の個性を「嘆きの詩性」「知の果てにある嘆き」と記したが、径子の詩質に幼年時の父母との死別が影を落としていることはまちがいない。
 『鶸』に収められた父母の句は、

  梅林を亡き父ならば黒二重廻(とんび)
  虻がきて同じ水飲む父の墓
  亡母ゐる裾のさびしき昼寝ざめ
  母を継ぎ峡蕎麦は明け昏れの花

 第二句集『哀湖』に直接父母を詠った作品は見当たらないが、「うすうすと二人居て夕顔の種」はもしかしたら、記憶のほとりにたたずむ父母の事であったのかもしれないと思う。
そして、歳月の地層の中で濾過されたかのように、第三句集『夢殻』に掲句が現れるのだ。浄土宗の信仰厚かった若い父は、吹き上げる水の清冽さと落ちかかる水のまろやかさで、径子のかたわらに永遠の謎と懐かしさを湛えて立っている。

  あれは父あれも父かと雲の峰   『雨の樹』

 亡くなった家族の中で最も多く径子の俳句に登場するのは夭折した弟であるが、俳句の中の弟は、父の面影を捜す径子にとって、父への思慕をも引き受ける存在であったのかもしれない。

(『らん 68号』15.1.10)
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