記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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雨の樹のほうへ 32

弥勒さま春の暮とぞ思ふなり   (『夢殻』)

 五月、大学時代の友人の息子の結婚式に招かれて神戸に出かけた。当人たちがすべて仕切ったという心温まる結婚式で、離婚当時二歳だった息子を一人で育ててきた彼女は心底うれしそうだった。
その夜は京都に一泊、翌朝、太秦にある広隆寺を訪ねた。清水径子の第三句集『夢殻』のあとがきに登場する弥勒さまにやっと会うことができた。
 径子は次のように記している。

 「その六月の琴座新緑句会、楽しさもあって心がはずみ、翌日は広隆寺の弥勒菩薩に詣ずることが出来た。京都も右京区が少し不便なことにかこつけて、この弥勒さまにはこの日が初見であった。薄暗い堂内、眼前三尺のこの弥勒菩薩のお姿のそれは、私にとって慕情であり、憧憬であり、悲愁であり、歓びであった。それにもかかわらず、現にそこにある弥勒さまは、漂泊の旅からいま帰ってきて、ただ『そこにある』と言ったようなしづかな印象であった。」

 そして、このようにつづく。

 「内に何物かを秘めながらしづかに『そこにある』というのは俳句ではないのか。そんな考えがちらっと通りすぎ、そして閉館の時間が迫っていた。この時、何かに誘われるように句集を出そうという思いが高まった。」

 その六月とは平成五年、径子は八二歳だった。『夢殻』刊行は翌年の一月、第二句集『哀湖』から十年の歳月が流れていた。「内に何物かを秘めながらしづかに『そこにある』」……まさに径子俳句ではないか。
 掲句の隣には「春深し鳥のそら音をわれはしぬ」の一句が寄り添うように置かれている。径子の魂が小鳥となって弥勒菩薩のあのやわらかく結ばれた印のあたりにとまっているような気がした。静かな時間がすぎ、外に出ると満開のつつじと細かい若葉の重なり合った楓の新緑が眩しかった。
 嵐電、地下鉄を乗り継ぎ、JR湖西線で堅田へ向かう。琵琶湖畔を歩くと、湖に浮かぶ浮御堂が見えてきた。芭蕉の「鎖(じやう)あけて月さし入れよ浮御堂」は俳句という器のやさしさを現しているのかも知れないと思う。芭蕉の眠る義仲寺へ向かう車窓からは、五月の琵琶湖が明るく光って見えていた。


(「らん 70号」15.7.10)
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