記憶の海へ

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雨の樹のほうへ 33

夏痩に柱やさしく匂ふなり (『鶸』)

 「テーマ特集・詩の原郷へ」で中尾壽美子を取り上げることになった。同人各自の壽美子俳句への思いに触れる絶好の機会となってうれしい。私は径子の連載をつづけながら、いつも壽美子のことが念頭を離れなかった。というのも、私が九〇年に「琴座」に投句を始めた直接のきっかけは中尾壽美子だったからだ。江里昭彦氏が図書新聞の俳句時評「陶然たる美の水脈」(九〇年三月二四日号)でとり上げていた壽美子の俳句に驚き、「琴座」の二月号が前年に亡くなった彼女の追悼号を組んでいることを知って琴座を取り寄せたのだった。
 久々に中尾壽美子追悼号(九〇年二月456号)を開いてみる。私の俳句はここから始まったのだなと改めて感じるとともに、取り寄せた当時、径子の追悼文に吸い寄せられたことを思い出した。最後の入院から死にいたる経緯を壽美子からの来信や残された病床ノートから抜粋して綴られた文章は、径子と壽美子のそれまでの交流を眼前させて余りある。追悼文は「中尾壽美子はもう居ない。然し私は花の『老虎灘』をあなたの分身として呉々も愛してやまない」と締めくくられている。「花の」という形容には、径子の熱い涙がこもっているようだ。
 「氷海」が終刊となってのち、径子と壽美子が一投句者として「琴座」に投句しはじめたとき、二人でどんなことを語り合ったのだったろうか。二人の俳句は凝集度がまったく異なり、言葉や修辞へのアプローチも違っているのに、耕衣に師事することでそれぞれの句に「コク」が深まったことは紛れもない。この「コク」は魂の身体性とでもいうべきものだろうか。
 掲句は径子の「氷海」時代の作品だが、壽美子にはその後日談とでもいうべき、こんな作品がある。

  家中の柱も落葉しつくしぬ    『老虎灘』

 二人が時間を超えて共鳴し合っているようだ。
 径子は花の『老虎灘』を深く愛しつつも、「陶然たる美の水脈」を横目で見ながら人界を野川のように深々とした哀感とともに流れ下っていった。きっかけは壽美子だったが、気がつけば私は径子の俳句世界にどんどん引きつけられていったのだった。

(『らん 71号』15.10.10)
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