記憶の海へ

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雨の樹のほうへ 34

枯れはじまる頃からうじて美し (『雨の樹』)

 清水径子が二〇〇五年十月に亡くなってから、全句集をひもときつつ一句を鑑賞して今号で三四回を数える。径子の俳句そのものともいえる、雨粒をたっぷり湛えた〈雨の樹〉のほうへと少しずつ歩をすすめてきたが、どれだけ近づけただろうか。
最後の句集となった『雨の樹』を出したとき、径子は九十歳となっていた。掲句を、当時私は最晩年にたたずむ径子がふともらしたつぶやきのようにとらえていた。「からうじて美し」にこめた径子の万感の思いを少しも汲み取っ
ていなかったと思う。
 十一月の冷たい雨の降る午後だった。家に帰る途中でブロック塀からはみ出すようにして冬菊が咲いていた。臙脂色の花はもう枯れかかっていたが、雨に濡れた菊ははっとするほど美しかった。そのとき、掲句が頭をよぎった。そうなのだ。菊はいつだって冬になれば枯れて、そんな風情を見せていたにちがいない。なのに、私はその枯れはじめた菊を美しいと思ったのだ。いまこの歳になって初めて。
掲句はとくに植物を特定してはいないが、枯れていく秋の草花を思わせる。庭の菊も芒もねこじゃらしも野辺の草も、命を使い尽くしてすっかり軽くなり風に吹かれている。その最後の姿を美しいと感じながら、自身の生を重ね合わせる。上中下の境界を越えて枯れていく身としての思いがほとばしる。「からうじて」という含羞が、晩年を荘厳する。
 北海道の川で産卵を終えた鮭たちが、きらめくような冬の川面に枯れ果てた銀色の身体を横たえて、鳥たちがついばむのにまかせていた。テレビでみたその光景は厳粛すぎていまの私には美しいということが私にはできなかったが、そこからやってきてそこへ帰っていく、そんな懐かし場所から俳句はってくるのかもしれないと思った。
掲句は第三句集『夢殻』の最後の一句と呼応しているだろう。

  鶴来るか夕空美しくしてゐる

 ここから十年を経て、径子は美しい夕空に追いついたのだ。
晩秋、一年ぶりに訪れた径子の墓は小鳥たちのさえずりが湧き立つようだった。帰りがけに不死男の句碑の前を通った。

  けふありて銀河をくぐりわかれけり  不死男

 バス停の前で椿の実を拾ってポケットに入れた。


(『らん 72号』16.1.10)
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