記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 秘 密 | main | 百花繚らん【選評】 >>

雨の樹のほうへ 35

淋しき鳥春着一枚干しにけり (『雨の樹』)

 掲句は清水径子の第二句集『哀湖』巻頭の一句である。『哀湖』は一九八一(昭和五六)年、俳句研究新社より刊行された。あとがきの最後に、当時「俳句研究」の編集長だった高柳重信への謝辞が述べられているから、句集刊行にあたって、二人に何らかの接触があったことはまちがいないだろう。
 ところで、この句集は、制作年順に四章立てになっていて、各章のタイトルは順に「晴」「雨」「霜」「雪」と名づけられている。シンプルで魅力的なタイトルの付け方だなと思っていたが、最近、『高柳重信の一〇〇句を読む』(澤好摩著、飯塚書店刊)を読んでいて、「おやっ」と思った。重信『「罪囚植民地』の章立てが、「晴」「曇」「雨」「風」「雪」であることが記されていたからだ。
『罪囚植民地』巻頭の「電柱の/キの字の/平野/灯ともし頃」は、私には特別の一句である。二十年ほど前、らんの仲間で印旛沼に出かけたことがあった。そのとき、帰りの車窓から田園風景を眺めていた径子が、ふっとこの句をつぶやいて、重信の俳句であることを教えてくれたのである。重信にそのような句があることを知らなかった私は、「キの字」の強烈さを脳裏に刻みつけたのだった。
 澤氏は一〇〇句の中で、どのようにこの句を採り上げているだろうかと前出の書をひもといたのであるが、これまで『罪囚植民地』の章立てについてはうっかり見逃していた。
不死男も耕衣も重信とは浅からぬ因縁があったことを思えば、『哀湖』に重信の深いまなざしが注がれていて何の不思議もない。
 ―径子さん、『哀湖』とはいいタイトルですね。
 ―哀湖は私だけに見える湖なの。愛や死という人間の哀歓を底に沈めて深く紺を湛えた湖。それはどこかに永遠にあるの。
 ―僕は『罪囚植民地』を編んだとき、人が火のごとく人の心を焼くなら、氷のように人の心を焼きたいと思ったんです。いささか涙にうるみすぎた節々がありますがね。そこで章立てはいっそ、シンプルに刻印しようと思ったんですよ。
 ―なるほど、では『哀湖』の章立ては罪囚植民地からいただこうかしら。
 七〇歳の径子と五八歳の重信にこんなやりとりがあったのでは。二人の句集のあとがきから想像して私は一人楽しんだ。

(『らん 73号』16.4.10)
雨の樹のほうへ | permalink | comments(0) | -

スポンサーサイト

- | permalink | - | -

この記事に対するコメント

コメントする