記憶の海へ

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雨の樹のほうへ 36

桃のスープ人はやさしきことをする (『夢殻』)

 送っていただいた「鬣」五八号の林桂氏の追悼文で、昨年一二月に阿部鬼九男氏が亡くなられたことを知った。「らん」三二号の径子の追悼特集を開き、寄せていただいた阿部氏の文章を久々に再読した。『まるでシャドーワークのような』というタイトルはいまも新鮮に迫ってくる。「身辺を、はらりと払うと、それが俳句になった。かといって、境涯俳句なんてもんじゃあない。(略)誤解をおそれずにいうなら、貴重なシャドーワークのような世界を俳句のなかで示してきた人のようにも思う」と氏は述べる。
「シャドーワーク」はイリイチの造語で家事労働など暮らしに不可欠欠でありながら報酬を受けない労働をさすと辞書にはあるが、ここで言うシャドーワークのような世界とは、実生活に張り付いている影法師のような、虚というよりはもう少し人間くさい有情の世界をさすのではないだろうか。姿は見えないがまぎれもなくそばにいる生き物の気配や死者たちの話し声、ものたちのもらすため息……私たちの暮らしの背後にたしかに存在する世界を繊細にたぐりよせる径子の手さばきが阿部氏には見えていたのだろう。
 阿部氏は三鬼や不死男と親交が深かったようなので、径子とのつながりもそこから生まれたものではないかと思うが、詳細はわからない。
 この一文は、「ところで、句集中に、ぼくのことを扱って下さった句もあるが、それはヒミツ、そっと大切に保管中だ」と締めくくられている。実は掲句がその一句である。大切なヒミツを明らかにすることを、きっと氏は許してくださるだろう。阿部氏は料理上手で、氏のお手製の桃のスープをご馳走になったことがあったのだそうだ。それはいつのことだったのか、どんな味だったのか、ちゃんと聞いておけばよかっと悔やまれる。
 一度だけ阿部氏にお会いした。たしか救仁郷由美子さんに連れられて鳴戸さんらと数名で径子宅の句会の帰りに阿部氏のお宅に押し掛けたのだったと思う。高階のベランダの向こうに夜景が広がり、東京タワーがよく見えた。居間の壁に重信の「明日は/胸に咲く/血の華の/よひどれし/蕾 かな」の扁額がかかっていた。近くの中華料理店でご馳走になったとき、阿部氏が香菜の一皿を追加注文されたのが忘れがたい。二〇年以上前のことである。

(『らん 74号』16.7.10)
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