記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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『らん 74号』同人作品七句を読む

  さうあれは蛇衣を脱ぐ息づかひ  片山タケ子

 蛇の衣が木の枝にかかっているのを一度見たことがある。国分寺に残る旧鎌倉街道の一角で透き通って揺れていた。あの枝で蛇は息をこらしながら静かに衣を脱いでいたのだろうか。
 
  七月の青い小鳥が逃げた家    鳴戸奈菜

 七月と小鳥の青が響きあう。この家は緑陰に染まりながらひっそりと蹲っている。軽い筆致だが、倖せの青い鳥が飛び去った家では、老夫婦がスコーンなど食べながら午後の紅茶を飲んでいるようだ。

  野火走る活断層が白地図に    服部瑠璃

 さまざまな活断層が列島の下を走っている。各地の原子力発電所の下にも、あるいは私たちに日常の下にも。白地図に活断層の野火を幻視する力を磨滅させてはならないと思う。

  バンジョーの一人髭づら風光る  腐川雅明

 バンジョーといえばカントリーウエスタン。髭づらの男はたぶん昔取った杵柄でかき鳴らしているのだろう。髭はごましおだし、隣のギターのポニーテールの銀髪が風に光っている。

  書を捨てよとは修司が言いて稲光  藤田守啓

 寺山修司が「書を捨てよ、町へ出よう」とアジってからはや五十年近くが経った。書を捨てたのはよかったのか。いまや猫も杓子もスマホから片時も目が離せない。稲光は修司からの追伸かもしれない。

  夜の木は自由であるか青葉梟   三池泉

 どこにも行けない木も夜は自由に世界を歩き回っているはずだ。青葉梟はそれを知っている。しかし、では、立ったままの木は不自由なのか。美しい青葉を風に戦がせている姿に、改めて思いを馳せる。

  ぎしぎしに咎められゐてまだ此岸  もてきまり

  面白い名前の草だ。茎と茎を合せるとギシギシと音がするのだそうだ。たしかにあの草はちっともきれいじゃないしこの世のしがらみのように厄介だ。ぎしぎしが単なる季語を超えて存在感を放つ。

  石ころを拝めり一生涯の夏    山口ち加

 丸い石に神を感じる古代人の記憶は私たちの遺伝子に組み込まれている。「一生涯」と記されたことで今生のこの夏という感が深まった。野辺の石ころは無縁仏の墓のようにも思われる。

  子雀のムクロカラコロ神の掌に  結城万

「ムクロカラコロ」の片仮名が効いている。亡骸はすっかり乾いてさばさばと風に吹かれている。小雀の魂は神がそっと掬い取って掌で遊ばせているのだ。
散歩道でも裏の林でも生き物の生死は絶え間ない。

  考える手の中へ花であること   五十嵐進

 この手は真摯なあなたの手だ。花であることは私の悲願なのだけれど、私は花でいられるだろうか。あまたの死が花として大切に手のなかでいつくしまれることを願っている一句と読んだ。

  蛇の目蝶追ひて走れば黄泉国(よもつくに)    海上晴安

 蛇の目蝶のあの模様には、どこか妖かしの魔力が潜んでいるようだ。つい駆け出して気が付いたら黄泉の国の入り口ではないか。俳句という魔物に取りつかれた男の物語のようでもある。

  カラダという檻の中から桜見る   MM

「カラダ」が一瞬「ガラス」と読めて透明な檻の中で桜を見ているような錯覚に陥った。身体をカラダと書くことで生身の身体が無機質な存在となり、檻がなんとなく輝かしいものに転じたのは不思議だ。

  片陰に呼びてエホバを説きにけり  岡田一実

 エホバを玄関先まで説きにこられたこともあった。もし片陰に呼ばれていたら、耳を傾けてしまったかもしれない。「キリストは磔刑にして腋涼し」の句もある。エホバへの愛は対幻想の究極の形なのか。

  鍵穴にいる破れかぶれの玉虫   金子彩

 奔放な魂は、今日は玉虫となって、あろうことか鍵穴に不時着した。この鍵穴、いったいどんな扉の鍵穴なのだろう。破れかぶれとあるからには、恋しい男の館の分厚い鉄の扉なのか。奇襲が冴える。

  独活小屋の独活しげしげと立つて居る 嵯峨根鈴子

 日の当たらない独活小屋で独活は何を見つめているのだろうか。「しげしげ」は「じっと見つめるさま」であるが、ほの白い独活の淋しさの有り様でもある。
独活の淋しさに感染してしまいそうな一句。

  落椿唐紅の土饅頭        佐藤すずこ

 唐紅は紅より濃い深紅のこと。土葬のゆるやかな起伏の上に、死者を慰めるように落ちた椿が目に痛いようだ。死者を土に埋めるという葬送のやり方は人の心にもっとも寄り添うものだったかもしれない。

  汗のハンケチ誰とも会わずに午後 清水春乃

 何もしなくても流れる汗、少し湿ったハンケチ。「汗のハンケチ」が無聊をかこつ夏の午後の淋しい時間を言いとめている。これできっちり十七文字。こんな十七字の使い方もできるのだと改めて思った。

(『らん 75号』16.10.10) 
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