記憶の海へ

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雨の樹のほうへ 38

最鳥渡る衣縫ふ鳥も居りぬべし (『夢殻』)

 昨年の一月から四ヵ月間、吉祥寺の着付け教室に通った。着物はほとんど持っていないし、母も着物を着る人ではなかったのだが、私はずっと着物に心惹かれてきた。まとうと全身がすっぽり覆われてはっとするような変化が起こる。襟の重なり具合、帯と帯揚げや帯締めの色の響き合い……改まった席に着ていく余所行きではなく、日常的に普段着として着物暮らしをしてみたかった。四ヵ月後、やっと怖がらずに着物や帯にさわれるようになった。それだけでもうれしい。着付け教室へと背中を押してくれた友人が亡くなったお母さんの残した着物や帯を、会社の後輩は亡くなった伯母さんの着物を体型が似ているからとプレゼントしてくれた。着付けを始めたと報告したら、田舎の叔母からも着てくれたらうれしいと着物と帯が送られてきた。はるかな母系が滔々と押し寄せてきて、さわさわと私を包むようだ。
 径子の俳句に着物にまつわるものはあるだろうかと句集を繰っていて改めて出会い直したのが、七四号の本欄で取り上げた「淋しき鳥春着一枚干しにけり」(『哀湖』)である。そのときは「春着」を漠然と春に着る服と思い込んでいたのだが、ふと歳時記を引いてみて驚いた。「春着」は新年の季語で「正月に着る晴れ着のこと」とあるではないか(私が思っていた春の服は「春服」という季語として控えていた)。例句もたっぷり並んでいる。晴れがましい句やほほえましい句が並ぶのに引きかえ、径子の春着のなんというはるけさ。春着は径子の全身を包み込んで新年の無聊を一日覆い隠してくれた。帰りついて脱いだ着物を吊り下げて風を通す。
 そのとき、何もかも脱ぎ捨ててすっかり軽くなった身体は、もはや一羽の鳥のようだ。
 この「淋しき鳥」は、径子の自画像としてさまざまな変奏曲を奏でていった。掲句の「衣縫ふ鳥」を書いたとき、径子の膝の上にはいつまでも縫い上がらない幻想の絹の袷が広げられていたのではないだろうか。
 皮切りは第一句集『鶸』に登場する「寒凪やはるかな鳥のやうにひとり」だったかもしれない。それは「淋しき鳥」を経て、『夢殻』所収の、掲句や「板の間を飛べない鳥としてきさらぎ」「春深し鳥のそら音をわれはしぬ」へとリレーされていった。
 着物を着たり脱いだりしていると、私も淋しい鳥の末裔のように思われてくる。遅まきの着物との出会いが径子との距離を近づけてくれた。


(『らん 76号』17.1.10)
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