記憶の海へ

――皆川燈・俳句Site
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漣すぎるものたちへの挽歌                 ――岡田一実第一句集『小鳥』を読む

 岡田一実さんは七一号(二〇一五年十月発行)かららんの同人に加わってくださった。前年に現代俳句協会新人賞を受賞されている。二〇一〇年には第三回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞を受賞され、その言語感覚の鋭さ、深さが注目された。らん誌でものっけから「男娼と見てゐる菊の豪華かな」「煩悩や地平に月の暮れまどひ」などの作品とともに登場し、私たちを驚かせた。骨太の句があるかと思うと、「うそ寒や首に紐ある抱き心地」「毛衣の雨にあたりて濃く匂ふ」など繊細で濃密な句あり、「キリストは磔刑にして腋涼し」「川に泳げば汝は天啓を受けし蛇」と、モチーフも多彩である。ネットのスピカで「図書館コラージュ」というユニークな俳句創作の試みもされていて瞠目した。一読をおすすめしたい。
 第一句集『小鳥』は二〇一〇年までの作品、第二句集『境界 ‐border‐』は二〇一一年〜一四年までの作品が収められている。らん句友のもとには昨年末に二冊一緒に送っていただいた。第一句集は発行当時四十部足らずだった私家版を第二句集を編むにあたって復刻したものだそうだ。私たちがいま手にしているのはその二刷版である。らん七六号に寄せられた略歴によると俳句をはじめたのは十年前で、きっかけは「十年前に愛犬が他界したこと」と書かれている。
 出立のころの岡田一実の俳句には、すでに今日の彼女がいる。まずは巻頭の一句。

  木よ人よ漣(さざなみ)すぎるものたちよ

「漣すぎるものたち」とはいのちの気配のようなものだろうか。早春のまだ冷たく澄んだ空気が、静かにゆっくりと波紋を拡げていくのが見えてくる。

  あちらから見し芽柳の内側へ
  駈け上がれば水仙肺に痛きかな
  まづ光のびて生まるるしやぼん玉

「あちら」からこちら側へ、「芽柳の内側へ」、いのちの不思議へ潜入していくために俳句はあるのに違いない。「駈け上が」る若いいのちが、あちら側と呼応する。「水仙」も「しやぼん玉」も光を帯びて輝いている。
 光を帯びて震えているものの前に立ちどまる。たちどまるだけでなく、「開いてみる」のが作者だ。

  壺焼の網こんこんと震へけり
  猫柳開いてみるために一つ
  五月雨や尻尾から震はせてゆく
  傘振つて雨粒は万緑の粒

「尻尾から震はせてゆく」のは、愛犬だろうか。雨粒をたたえた傘も尻尾を持つ動物のようにいのちの震えを帯びて万緑を映している。
 岡田さんは生死も宇宙もやすやすと掬い取って自らに引き寄せる。

  火星めく果実のやはらかく冷ゆる
  網の目にさらはれてゆく銀河かな
  囮ある言葉に小鳥ここへ来よ

「火星」と手のひらの「果実」に通路が生まれる。「網の目」の句では私の想念は一つの「銀河」に凝っている。暗い宇宙をさらわれていくのは私なのだ。次の一句はややむずかしいが、私が「囮」を仕掛けた言葉の森へ小鳥を呼び込んでいると解してみた。小鳥の生死を自らの言葉の森の囮に拮抗させているのだ。
 掉尾の一句は、

  夜をゆく夜の中より光の戸

「光の戸」が見えてくる。近づいていくのが怖い。しかし一歩一歩近づいていく。それが俳句なのだというように。
 本句集の局瑤砲蓮短句七七が収められている。歌仙を巻いたときの収穫なのだろうか。あるいは七七という詩型に挑戦してみたのかはわからないが、これも面白かった。

  春の水なら垂直にあり
  弾けたるものすべて風船
  チューリップをも切符としたり

有無を言わさず世界を切り取っていく断定の小気味よさ。しかし、繊細な手さばきものぞく。「七七という器もありだな」と納得させられる。

  ここは夕凪だれも呼ばずに
  火蛾と私つねに火のそば

しずかな充足の入り江に実は激しさが潜んでいることに気づかされる。

  小鳥遥かに星をたのしむ

小鳥は言葉との永遠の随伴を愉しんでいるようだ。


(『らん 77号』17.4.10)
 
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