記憶の海へ

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【書評】三宅やよい 著『鷹女への旅』                     ―「図書新聞」17.6.24号

 三橋鷹女は俳句の世界で近づきがたい孤峰のようにそびえたっている。第四句集『羊歯地獄』の自序の一文、「俳句を書くことは、一片の鱗の剥脱である」という厳しい独白は、あまりにも有名である。その作品の圧倒的な存在感の前に佇むばかりであったが、あるとき勤め先の二回りも齢のちがう同僚が「鷹女の句が大好きで図書館で全部ノートに書き写したんですよ」と話してくれてびっくりした。私の大好きな「ひるがほに電流かよひゐはせぬか」「月見草はらりと地球うらがへる」「炎天を泣きぬれてゆく蟻のあり」「絶壁に月を捕へし補虫網」などは、同僚の愛唱句でもあった。鷹女の俳句はとっくに俳句の世界を飛び出して広く深く愛されていたのだ。
 本書は鷹女を愛する人々に、ぜひ繙いてもらいたい貴重な一冊である。著者が現在副代表をつとめる「船団」に、二〇〇五〜二〇〇八年まで一五回にわたって連載したものがもとになっている。著者が夫君の転勤に伴って関西から東京に転居したときに、「船団」代表の坪内稔典氏から鷹女について調べて書いてみないかと提案されたのがきっかけだったそうだ。
 著者は鷹女の俳句に導かれるように、鷹女の生まれた成田に足を運んで貴重な資料に当り、面識のあった人々に取材し、ともに暮らした息子陽一氏と妻の絢子さんから話を聞きながら、鷹女の俳句人生の変遷を丹念に追いかけていく。実は私も吉祥寺に二十年以上暮らしていた。しかし、長く鷹女の俳句に傾倒してきたのに、その住まいのあとなりを訪ねてみようとすら思わなかった。著者の鷹女への思いの深さとその果敢さに改めて感じ入りつつ、鷹女のさまざまな人生の局面と俳句とのかかわりを新鮮な気持ちで読み進めた。
 「成田時代」を読み、成田は私が思っていた以上に鷹女にとって大きい位置を占めていると感じた。産土の時空からどのように詩を汲み上げ、俳句に凝縮させていくかは多くの俳人にとって永遠の課題であるが、鷹女の詩の淵源のひとつは、女学校の裏山、不動ヶ丘周辺だった。裏山の小暗い木下道は地下水脈となって以後の鷹女の俳句を支えていったのだ。
 鷹女が昭和十五年に第一句集『向日葵』上梓以後、高柳重信の招請を受けて昭和二十八年に「薔薇」に同人参加するまで、結社に属さずに俳句を書き続けてきたことは、当時としては稀有のことだったのではないかと思ってきた。俳句書く人間が結社に属さず、自らの作品を世に問うていくことは並大抵のことではないだろう。しかし鷹女は孤独な作業を続けていたわけではなかった。本書によって、昭和二十二年頃から職場句会「ゆさはり句会」を指導していたことが大きな比重を占めていたことを知った。「この句会の指導と付き合いは長らく鷹女の生活の一部だった。鷹女のここでの在り方から今まで見えていなかった鷹女の別な側面が見えてくる」と著者は記す。鷹女は俳壇とはあまり交流のない孤高の作家ではあったかもしれないが、「この(ゆさはり句会―引用者注)交友は長らく続く。この時期の鷹女は一人ではなかった」のだ。
 ゆさはり句会に出した句は昭和二十七年発行の第三句集『白骨』にも多く収録されている。著者は「天が下に風船売りとなりにけり」を挙げ、「(折笠美秋とともにー引用者注)高柳重信もこの句を『昔ながらの鷹女の機智が、次第に深まりを見せながら正確に捉えた不思議な寂しさである』と評価している。『俳句評論』の切れ者たちがそろって評価するこの句が『ゆさはり句会』の兼題から作られたこと。俳壇とはまったく無縁の会社の一サークルの集まりで作られたことに私は嬉しささえ覚えるのだ」と述べている。高名な「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」もここから生まれたことを知り、私もうれしくなってしまった。
 戦前はモダニズム詩や新興俳句、戦後は赤黄男や重信など「薔薇」同人たちの作品の影響を受けつつ、時代の空気を敏感に察知して自身の鋭い言語感覚を深化させていった鷹女の俳句は、実は著者、三宅やよいの俳句表現にも通底するものがあるのではないだろうか。自分とひたすら向き合う孤独な営為と、親しい仲間との交流の中で喚起される情感とが織りなすタペストリーが俳句という詩であることを著者は鷹女への旅によって、再確認していったのにちがいない。本書のあとがきには「鷹女が旅の最後にたどり着いた不思議な静けさに満ちた言葉の地平をもう少し掘り下げられるのではないか。と最近考えはじめました」と記されている。著者の鷹女への旅はさらにつづく。

 

(創風社出版刊・17.4.7 四六判 208頁 本体2000円)

 

 

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