記憶の海へ

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雨の樹のほうへ 40

目の見えぬ魚がみひらきゐる晩春 (『鶸』)

 前回は径子の句にある「芍薬忌」は多佳子の忌日ではないかと書いたが、多佳子との天狼を通じての縁とは別に、径子は鷹女の句に惹かれていたのではないかと思う。鷹女の句の感覚的な把握や美意識の肉体化は、径子が俳句で目指さんとする知の抒情化を触発しかきたてるものだったにちがいない。
『白骨』は鷹女の第三句集である。径子逝去の翌二〇〇六年、「らん」三二号で追悼特集を組んだとき、その冒頭に「氷海」の昭和二八年六月号に掲載された、径子の『白骨』評を再録した。「『女のかなしさ』などー『白骨』を読みて」と題されたこの一文は、鷹女に宛てた手紙のスタイルで鷹女から『白骨』を贈られたことへの謝辞から書き始められている。『白骨』は昭和二七年三月に発行されている。
 実は昭和二七年に鷹女から径子に贈られた『白骨』は、径子の遺品の一冊としていま私の手元にある。中扉には、鷹女の自筆で「ねこやなぎ女の一生野火のごと」と記されている。やさしい墨跡は、句の激しさとはうらはらなたおやかさだ。
 径子は集中の「うちかけを被て冬の蛾は飛べませぬ」「馬ほどの蟋蟀となり鳴きつのる」「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」などをはじめとした様々な句を挙げて、鷹女に「先生は遂に、その高いロマン主義を基調とした抒情を、知性的な把握によつて昇華させる、そういふ足跡をお残しなさつた方だと私は思ひます」と熱く語りかける。
 さらに「先生はたへず自己と自然の中に青春を見てゐられるといふことを深く深く感じたのでござゐます」と述べ、「私の内に湧いた勇気とよろこびの一端をお伝へ出来ればうれしうございます」としめくくる。
 径子の第一句集『鶸』には昭和四七年までの句が収められている。俳句を発表しはじめた昭和二十年代後半から四十年までの二十年間の句は厳選されて全体の一割、約六十句強にとどまっているが、出発点の径子の句には、鷹女の句から与えられた勇気に背中を押されたとでもいうべき作品が多いのではないだろうか。
 掲句はそのうちの一句で、径子の自画像だろう。魚は見えぬ目をみひらき、晩春の只中で夏の気配を察知する。自己と自然の中に「青春」を見ているのだ。

  雪積んで一丁の斧しづまれり
  寒卵撫でてやるその一つ割る
  地虫鳴く目の中くらくあたたかし

などの斬新な切り口は、以後の径子の作品の推進力となっていく。俳句の短さは二人にとって、ともすれば過剰に反応してしまう自らの詩魂をせきとめるかっこうの器であったのかもしれない。

(『らん 78号』17.7.10)
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